WEBライターを始めた頃(2008年から数年間)は、前置きがあって起承転結で流れる日本らしい文章で書いて欲しいというクライアントさんが大半の印象でした。
国語の教科書で、随筆やエッセイと呼ばれるジャンルの書き方です。
日本の小中高校では、作文や小論文などの書き方は習っても、ビジネス的なレポートの文章を教わる機会はあまりないので、ネットが情報ツールの大きな柱の一つになるまではごく自然な考え方だったと思います。
ただ、インターネットはもちろんバックボーンのプログラミング言語が西洋的な論理や作法が中心だとすると、ネットが隆盛になるにつれてWEBの日本語文章も変容していくだろうというのが当時の私の予想でした。
大学時代、英米文学専攻で英語論文の書き方を身につけていたーー、
……というか、日常のレポートはもとより卒業論文まで、徹底してMLA論文の作法に則っていなければ受け付けてもらえないという厳格なルールもあり、身につけざるを得なかったというのが実際です。
MLA論文とは、欧米の高等教育の中でも文学・歴史系においてメジャーな英語論文作法で、とにかくレポート全体はもちろん、一つのパラグラフ内でもまず結論を提示し、その上で理由・説明を展開し、最後にまた結論を提示するという基本ルールがあります。
この基本ルールの最たるものが見出しの構成です。
Introduction(導入)=Abstract(要約)
Body Paragraph(本文)
Conclusion(結論)
その上で、Notes(脚注) と Works Cited / References(参照文献)の徹底した記載が求められます。
特に、先生からは Works Cited に漏れがあれば盗用と取られかねないからと、口酸っぱく注意するように指導されました。
こうしたスキルを身につけていたおかげで、WEBの日本語の未来は英語のニュース記事や英語論文のような結論ありきで参照情報をしっかり付ける方向へと向かうだろうとイメージしていました。
当然、Google検索も英語で「考えて」いるでしょうから、見出しや文章の冒頭で結論があるほうが、より評価されやすいだろうと予測が付きます。
ただ、WEBライターを始めた初期、2000年代後半はまだ「日本のWEB文章は日本語らしい文章で」といった考えが主流の印象でした。
当時、実際に結論ありきのルールに則った文章で納品すると、「日本語の文章として違和感があるから、前置きや起承転結を意識したものに修正して欲しい」と言われるケースや、最初のレギュレーションの時点で『自然な日本語』を具体的にルール化した案件も少なくなく、自分の将来イメージとのギャップを感じていたところです。
こうした流れの潮目が変わってきたのは、ここ数年でしょうか。
特にコロナ禍以降はGoogleのアルゴリズム解析の情報発信でも、結論ファーストが好まれると記載されるものをよく見かけるようになっています。
いわゆる本(書籍)の日本語の文章を読んでいると、良い意味で前置きや起承転結の自然な流れがベースあるため、時間をかけて読み進めながら自分の考えを深めたり、文章の世界を味わうという点ではとても魅力を感じます。
ただ、2007年のiPhoneの登場で、WEB文章がパソコンで読むスタイルから仕事や学校のスキマ時間にスマホでさくさく読まれるスタイルに一気にシフトしたタイミングで、もう少し自分なりのWEB向けの文章というものを熟考したり、クライアントさんと話し合う機会をもったりしてもよかったなと思うこともしばしばです。
じっくり読む本の良さ、そこから抜け落ちるものは多いけれどこのハイスピードの現代社会の流れにはピッタリのWEBの文章。
両者のインプットの割合を自分の中でどうバランスを付けていくか、改めて考えているところです。