生まれてから、ずっと、儲けるとか稼ぐっていうこともいまいちわからない感じ。
物心ついてこのかた、世間の片隅でひっそり生きていきたい、ライターの私です。
もう『ド』がつくほどのマイペースですんません
もともとマイペースでガツガツしていなかったり、有名になりたいとか評価されたいという意識が低いまま育ったのかもしれません。
もちろん男性としてこの社会で生きていると、多かれ少なかれ「周囲に認められたい」っていう思いはどこかしらあるのは確かです。
ただ、そういうお金や名声的なものに最後のところで価値を見いだせないようです。
これは良い悪いではなくて、素直にこういう性格なのでよほどのことがないと変わらないんでしょう。
単価交渉ブームの渦のなかで
最近、といっても去年ぐらいからかな、Twitterなどでライターの単価をどう上げていくかというテーマが話題になっています。
ここでいうライターはクラウドソーシングを中心にお仕事をしているWEBライターのことです。
自分自身もいまだに底辺ライターのギリギリを苦しい息継ぎをしながら溺れるように泳いでいるわけですが、何年も同じような案件を積み重ねてきて、はたと単価が上がらないっていう苦しさを痛感してきました。
といっても、生来のんびりしているので、そういう焦燥感に駆られたのだって、ここ半年や1年ぐらいの話なのですが。
人間誰しも短い労働時間で高い報酬を得たい。
そこは変わらないと思います。
問題は、コスパの良い仕事を頑張って、質の良い記事を書いていくこと。
「質の良い」ってよく聞くフレーズですが、具体的にどうすればいいのかというと難しい問題です。
自分の場合もまだまだ試行錯誤しながら、気づけば徒労に終わっていたり、やった後で失敗をしたりとまったくうまくいかない日々。
ただ、単価を上げる、お金を稼ぐっていう部分にとらわれすぎていたのかもと思ったりしました。
ガツガツのない人間に生まれて来ました
もともとそれほどガツガツ稼ぎまくりたいというタイプでないのに、にわかに周囲の流れに押されて「自分もライターにしがみついて、ガンガンに稼がないといけない」とか思っていたようです。
一つの道を究めることの大切さなんてどこかですり込まれた価値観かもと思ったりしつつ、やっぱり一度始めたライターを手放すのはもったいないし、逃げたような気もしなくもないと。
でも、ライターに、というよりライターだけが仕事だとこだわりすぎるせいで、本来自分の胸の中に訪れなければならない新しい風のスペースを追い出していたような気もします。
のっぺりしている私の仕事観?
もともと、仕事っていうものを大きく捉えるところがあって、家族との関わりも仕事だし、友人知人との関わりも仕事で、旅先のさまざまなものに触れるのも私にとっては抜き差しならない仕事として明確に背負っている部分です。
今回、ライターのお仕事を大幅に縮小すると宣言して、ポツポツとその意図を訊ねられました。
直感でここらあたりで一度、ライターというものを自分から少し距離を置いたほうがいいという直感が先行したものなので、なかなか言葉で上手く説明できなかったのが歯がゆいのですが。
きっと10月、11月が過ぎて12月入ったあたりで自分の中でも、外から見てもはっきりとこの9月に思った意味が見えてくると感じています。
マウスを鍬に持ち替える?
ライターというリュックサックを半分荷下ろししたことで、理由はないものの何か新しいさまざまな色の「お仕事」がやって来そうな手応えがあります。
いざとなれば単発バイトで最低限の生活費と支払分をしのげばいいし、みかん山に行って畑を耕して今よりもっと野菜を育てて自分ち用の食材に充てればいいし、なんて考えていたら、不思議とすーっと吹っ切れるものがありました。
Twitterでもそういう気楽な感じでつぶやき始めたら、フォロワーさんやいいね、RTがちょっとずつ増えているのも、ありがたく、面白いものだなと感じています。
細々とライター、ガンバります、デス
ライターとしての質を上げながら、収入をちょっとずつ上げていく目標。
単価も大切だけど、自分がやりたい案件やジャンルだったり、稼ぐだけにとらわれない部分。
まだまだ「湖衣さんだから依頼したい!」なんていってもらえるようなライターではまったくありませんが、あまり気負わずに少しずつマイペースで歩んでいきたいと思っています。