白高大神に興味を持ったのは、奈良県の神社やお寺を探していて、偶然心霊スポットであるこの場所の紹介記事を見たのがきっかけだった。
ただ、調べてみると白高大神はもともと戦前から戦後にかけて稲荷を主とする新興宗教の本拠地だったようだ。
神がかりのシャーマン的な女性が活躍して、関西を中心に信者が集まっていたらしい。
奈良県最強の心霊スポット
心霊スポットと呼ばれる以前の顛末は、日本の民俗をフィールドワークに活動したフランス人、アンヌ・ブッシイ氏の著作に詳しい。
[itemlink post_id=”18663″]
伏見稲荷大社から勧請した稲荷大神を中心に祀る神社が、やがて教団の中心的な人物が亡くなって次第に寂れていった。
そうしているうち、心霊スポットサイトで「山中にある廃神社」という紹介をされて以降、奈良近隣の府県から夜な夜な若者が訪れるようになったようだ。
心霊スポットかどうかはさておき、ネットに上がった画像を見て、どうにも濃密で大切な場所のように感じられた。
いつもなら最初から心霊スポットなど避けるのだが、奈良そのものが気になったこともあって、実際にある日の夕暮れ前に訪れてみた。
出雲を彷彿とさせる風景
駐車ポイントから少し歩いていくと、このような黄金色の稲穂が揺れる田園風景に出た。
奥に見える山に白高大神がある。
神社巡りをしていると、ポイントになる土地ほど共通したエネルギーを感じる。
景色という観点から言えば、出雲や明日香、丹波といった古くからの土地と似た、ねっとりした空気が漂う山々だったり、吹き抜ける風だったりだ。
「滝」がキーワード
そもそも、白高大神より押さえておかなければいけないことは、この一帯が瀧寺と呼ばれていることだ。
白高大神には小振りながらエネルギーの凝縮された滝がある。
そして、すぐそばの釣り人が集う池に注いでいく。
その池の名も瀧寺池と呼ばれる。
瀧寺は古代、この付近に広大に広がっていた大寺院だったようだ。
白高大神の背後には矢田自然公園があるが、その山の中に瀧寺廃寺跡と呼ばれる場所も残っている。
また、矢田丘陵の裾野にある、日本最大の円墳・富雄丸山古墳もすぐそばだ。
白高大神を創設した女性も、この一帯が古くから大切な聖地だったことを感得してこの場所を定めたに違いない。
いよいよ鳥居をくぐって
畦道を進んでいくと、池の土手が現れ、すぐ山の入り口が見えた。
そこに石造りの大きな鳥居が立っている。
額にはしっかり「白高大神」とある。
産道をさかのぼる
参道とは産道であるというが、まさしくここも産道を頭をねじこみながら母胎に戻っていくような濃密な感覚を抱かせる。
とくに稲荷神社の赤い鳥居は産道そのものといっていい。
女性性を試されるような心地で、雨上がりのぬかるんだ道を進む。
途中、左手に池を見ながら進んでいくと、朽ちた小屋があって、その横に石段がある。
上まで登ってみると、立派な石碑が祀られていた。
さらに、進んで赤い鳥居を数本くぐりぬけると、ちょっとした神社のような場所に出た。
拝殿があって、そのすぐ奥に石碑がたくさん並んでいる。
稲荷系ではこのように神様の名を刻む石碑を「お塚」と呼ぶが、石段もお塚の周辺もきれいに掃除されていたのが印象的だった。
きっといまでも熱心な信者が清掃にやってきているのだろうと思うだけで、とてもありがたい気持ちになる。
土地を浄化し天とのつながりを感じる滝
いよいよ、拝殿前から階段を下って、さらに奥へと進む。
すると、右手に滝が落ち、正面に洞窟のようなところに出た。
凜とした滝に出会う
それにしても、この滝はすばらしい。
大きさもコンパクトで、きっと古代寺院時代から滝行に使われていたのだろう。
雨後の水量で流れに見応えがあるのはもちろん、この滝周辺のエネルギーは素晴らしい。
この滝壺は、考えられないぐらい見えない範囲の土地の浄化を行っていて、ここから天に向かって濾過したエネルギーを戻しているような印象を受けた。
こういう土地は神社巡りをしてきた中でも滅多にお目にかかれない。
四国のある山間部だったり、六甲山地にある忘れさられた滝に似ていたり、土地を結ぶ連環が果てしなく続く。
きっと、いま流行の表現でいえば「瀬織津媛がここにいた」といった感じになるのであろうか。
今もきれいに掃除されている場
洞窟の中は水浸しだったため、奥を覗いただけだった。
入り口に飾られている「鎮魂」という金属でできた文字は、ネットではおどろおどろしいと紹介されていた。
それにしても、ここのお塚も掃除が行き届いている。
石垣に立てかけられたほうきで清掃されているのだろう。
新しい榊やお供え物、汚れのない狐の置物などを見るだけで、この場所が現にいまでも古代からの信仰を脈々とつなげようと心を配っている人があるのだとわかる。
廃寺跡を目指して
滝前でしばし物思いにふけった後、来た道を途中の分かれ道まで戻る。
右手の山の方へ進むと、ちょうど瀧寺廃寺跡にたどり着けるはずだ。
ぬかるみをよけながら登っていくと、途中、左手眼下に先ほどの洞窟と滝が見える。
さらに山道を登って、途中藪こぎをし、滝からさかのぼる上流を渡河すると、杉の人工林に入った。
ゆるゆると上を見ながら登っていると、小屋が見えてくる。
瀧寺廃寺跡の磨崖仏の覆屋である。
天平にさかのぼる日本最古級の磨崖仏
磨崖仏とは、大岩に直接刻まれた石仏のことだ。
奈良県指定史跡であり、8世紀の天平時代にまでさかのぼるという貴重なものらしいのだが、それにしても一般にはまったく知られていない。
ただ、ここから西側に降りた一帯に広がる矢田山遊びの森ではハイキングコースの一つになっているようで、矢田自然公園側からのほうがわかりやすいはずだ。
扉には鍵が掛かっていて、格子から覗いたのだが、なにせ暗くてよくわからなかった。
その場で撮影した写真で見て、ようやく大小さまざまな石仏が見て取れる。
瀧寺が具体的にどこにあったか、詳細はいまもってわかっていないらしい。
ただ、この磨崖仏周辺から奈良時代の瓦が出土したことから、ここを中心にそれなりの規模の寺院があったのだろうということだ。
瀧寺と白高大神の関係性
瀧寺廃寺の由緒などは正確に伝わっていないようだ。
ただ、ネットで調べていたとき、先ほど掲げたアンヌ・ブッシイ氏の著作から瀧寺の伝承をまとめた記事に当たり、色々と腑に落ちるものがあった。
オダイ・中井シゲノが聞き手のアンヌ・ブッシイに語った伝承は、正確に言うと滝寺(白高大神近くにある廃寺)についての伝承であるが、ついでという形で東明寺が登場する。伝承の要点はというと、
- 天武天皇が眼病を患った皇子のために三笠山(若草山)の行場で祈るも一向に効果が現れない
- 観音像を彫らせ、夢のお告げに従い今度は現在滝寺がある近くの滝で祈る
- 夢のお告げ通り滝寺の滝から龍王が現れお椀を賜り滝水を汲んで目薬とする
- 龍王からの賜り物である目薬で皇子の眼病は完治
- 天武天皇は目薬の御礼に観音像と滝寺、東明寺を建立
- 東明寺には眼病が癒えた皇子が住み、滝寺にあった観音像と龍王からの賜物である目薬も現在は東明寺に保管されている
参照元:朧げな何か[2016年10月リンク参照]
ここでは詳しく立ち入らないが、眼病の皇子が瀧寺付近の滝水で完治したというのがポイントだろう。
この瀧寺の滝こそ、白高大神の滝にちがいない。
まとめ
白高大神、そして瀧寺廃寺を巡ってみて、心霊スポットという言葉ではまったく表せない、深い土地の意味を感じた。
正直、恐いといった印象は当然なかった。
ヒーラーの友人にこの話をすると、「今まで散々、心霊スポット以上の場所ばっかり神社巡りで行ってて、いまさら?」と半ばあきれられたのだが、たしかに、これまでの神社巡りで訪れた山中の神社や古びたお寺と比べてまったくどこといって違いはなかった。
肝試しとしてこの場所が扱われることには抵抗があるものの、白高大神が聖地として非常に重要な役割を秘めているだろうことを思うと、若者が夜な夜な訪れるのも、前向きな意味があるのかもしれない。
だからこそ、まっすぐに聖地としてお詣りする気持ちで訪れれば、きっと心霊スポットという張り子の虎にとらわれない何かを体感できると思う。
コメント