諏訪大社の上社前宮(かみしゃ まえみや)には、2017年6月に初めて訪れた。
神長官守矢史料館のガイドさんから「本宮より前宮のほうが古くから祀られていた」と聞き、諏訪大社の原初的な空気に接することができるかも知れないと思ったからだ。
ひっそりと威厳を持つ神社
諏訪大社上社本宮から前宮へは車で5分と掛からない。
神社専用駐車場に車を停めて山に少し入ると、すぐ鳥居が見える。
荒玉社
駐車場内にも古びた石祠があった。
田の神や稲の神霊を祭っていて、上社でも重要な摂社だという。
力強い空気感を持っていて、しばらく手を合わせた。
諏訪の発信地だった十間廊
前宮は本宮より町々の鎮守の杜のような空気が漂っていた。
とはいっても、規模はとても大きく、参道は長くずっと山のほうへと続いている。
大鳥居のたたずまい
県道から参道に入って、石段の失われた坂を登る。
登り切ると立派な銅鳥居が出迎えてくれた。
そして、鳥居の周りには、もの言いたげな摂社と回廊のような建物があった。
画像の右端の小さな祠は若御子社で諏訪の祭神・建御名方命のお子様、中央右側の祠は内御玉殿で諏訪大祝の祖霊を祀っている。
左側は御頭祭でも重要な役割を果たす十間廊である。
十間廊
十間廊は、かつて神原廊とも呼ばれており、諏訪の祭政の中心で、政治や祭礼の重要な儀式が執り行われていた。
史料館で再現されていた御頭祭の鹿や猪などの生贄を並べていたのもここである。
これほどの重要な場所が参道のすぐ脇にあって、誰でも立ち入ることができるようになっているのは珍しい。
御室社
十間廊から少し登った右手、木の根元に御室社がある。
中世まで半地下室に諏訪大社のトップである大祝や神官が参籠して、冬ごもりをしていた。
御神体山の守屋山から下りてくる龍脈を捉える場所として使われていたのではないだろうか。
諏訪頼重の供養塔
南北朝時代にこの地で活躍した諏訪頼重の供養塔があった。
建武2年(1335年)、中先代の乱が勃発。旧鎌倉幕府の流れを汲む北条正行とともに頼重も戦ったが、北朝方の足利尊氏の巻き返しを受けて自害する。
親しみやすくパワフルな御柱
御室社から50mほど参道を登ると拝殿が見えてくる。
本宮よりも小振りだが、山椒は小粒だがピリリと辛いといったように、存在感はやわらかくも凄まじい。
玉垣越しに覗くと、本殿の近くには古墳のような磐座が見えた。
もともと古代の首長の墓や祭祀地を守るため、前宮として大々的に祀られるようになったのかも知れない。
四本の御柱
4つの御柱はそれぞれ面持ちがちがっていて、新鮮だった。
前宮一之御柱
前宮二之御柱
前宮は水とのつながりが非常に強い。
二之御柱と三之御柱の間を、神社背後の山から小川が流れている。
このせせらぎを「水眼(すいが)川」と呼ぶ。
前宮三之御柱
前宮四之御柱
2回目に訪れたときはちょうど紅葉シーズン。
御柱のまわりの木々が彩って、贅沢な空間を十分に味わうことができた。
溝上社
帰りみち、県道すぐの一の鳥居のそばに小さな社があるのに気づいた。
木の周辺を見ると窪地でもともと池だったのかも知れないと思いながら案内板を確かめるとまさしく「みそぎ池」なるものがあって参詣の際の禊ぎに使われいたとある。
ひっそりとしていながらも、前宮を守る水の神の魂を感じた。
子安社
子安神社とも呼ばれていて、木花開耶姫命を祀っている。
前宮の鳥居から本宮方面に住宅地を少し入ったところにあった。
底の抜けた柄杓を奉納する安産祈願の神社として今もお参りが絶えないという。
狭い境内を覆い尽くすような御神木が印象的だった。
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