丑の刻参りは今でも現役で行われている呪詛のようで、由緒を辿れば京都の貴船神社が有名らしい。
中国山地にある育霊神社もその一つらしく、テレビで心霊スポットとして取り上げられてからというもの、訪れる人が少なくないようだ。
育霊神社も気になっていてずいぶんとタイミングを見計らっていたが、ふと思い立ち、現地へ向かった。
今でも行われる丑の刻参り
白装束を身にまとい、髪を振り乱し、顔に白粉を塗り、頭に五徳(鉄輪)をかぶってそこに三本のロウソクを立て、あるいは一本歯の下駄[1](あるいは高下駄[5][注 1])を履き、胸には鏡をつるし[1][2]、神社の御神木に憎い相手に見立てた藁人形を[1][2]毎夜、五寸釘で打ち込む
画像&引用元:Wikipedia
丑の刻参りの白装束を時代劇で見たことはあっても実物を見たことはなくずっと過ぎていた。
しかし、ずいぶん前、四国遍路をしているとき、寺の裏にある杉の幹に藁人形が五寸釘で打ち付けられているのを見て驚いたことがある。
育霊神社へ向けて岡山へ
中国道の最寄のインターを下りて山間の国道を走っていくと30分も掛からず神社のある集落に着く。
岡山県新見市哲西町。
広島県側から行くと岡山県との県境を越えてすぐの地域だ。
育霊神社は現在、集落の中にある里宮と、中世の城跡のある裏山の山頂にある奥の院とに分かれている。
私にとって心霊スポットが先にあるというよりも、神社巡りの一環として行くべき場所を探しているとたまたまそれが心霊スポットだったという感覚なのだが、心霊スポットと呼ばれている以上、多少は気持ちを引き締めて訪れるようにしている。
まずは里宮から参拝
神社の駐車場に車を停めて、まずは里宮を参拝する。
村の鎮守さまらしいこぢんまりとした佇まいだが、拝殿を突き抜けて西に向かって突き抜けるように冷たいエネルギーを感じる。
神社の規模の割にしめ縄が大きいのは、出雲大社教の支部との関わりがあるのだろうか。
いよいよ奥の院へ登山スタート
参拝を済ませるといよいよ奥の院の登山口へと向かう。
心霊スポットは奥の院の山のことで、今でも山頂の神社付近の林からときどき藁人形が見つかり、宮司さんが持ち帰っては祓い清めている。
注意書で「日没後の参拝を禁ずる」と書かれてあるのがとてもリアルだ。
登山口からは徒歩30分とあった。
低い里山の割に参道は傾斜がきつく、だらだらと続いている。
途中、立ったまま息を整えながら中腹まで15分、汗もかき息も上がってきた。
スタート15分の浄め堂で小休憩
中腹には参道をまたぐように「浄め堂」がある。
田舎のバス停にありそうな建物だが、このあたりが結界となって上下の世界を分けていることがわかる。
ベンチに座って谷の方を見ると、木漏れ日がきらきらと輝いていた。
落ち葉で滑らないように気をつけて
再び歩き始めても、なかなか山頂が見えない。傾斜が落ち着くことはなく道には落ち葉が積もっているため登山靴でも足が滑りそうになる。
足を踏み外しでもすれば谷底まで滑落しかねない。
ここを真夜中にまともな明かりも持たずに登るのは至難の業だろう。
山頂部に巨石あり
登り始めて25分ぐらいすると巨石が見えてきた。
岩の上部に鉄製の鳥居があることからも磐座として祀られているのがわかる。
巨石を右に回り込むようにして登ると一段と高い丘が見えてきた。
おそらく山城として使われていた頃、郭になっていたのだろう。
奥の院へ到着
ようやく神社の社名の刻まれた石塔が見えてきた。
さらに登っていくと、石段があって、ようやく奥の院の建物が見えてきた。
参道脇の古びた石像。
狛犬というより、狛猫なのだろうか。
こうした、なめらかな曲線の動物の石像が出迎えてくれる。
心霊スポットと言われているから気合いを入れて訪れたのだが、土地からはそれほど重たいエネルギーは感じない。
むしろ、丑の刻参りというおどろおどろしいイメージと重なって話だけが膨らんでしまったというほうがいいのかもしれない。
680年前育霊神社本殿には斉藤尾張守影宗が治める城があった
しかし統治も長くは続かず敵勢により落城を余儀なくされた
その時、影宗の娘、依玉姫と姫が可愛がっていた猫は何とか逃げ延び、近くの祠に隠れた
姫がお腹を空かしていると考えた猫は姫を助けるため、里に下り村人から握り飯を貰って、ふたたび姫の隠れる祠へ向かった
すると途中で敵勢に見つかったと気付いた猫は、姫を守るため、直接祠へは戻らず、敵兵をまこうと考えた
しかし猫がだましていると気付いた敵兵はその場で猫を突き殺してしまう
翌日、山道で死んでいる猫を見つけた姫は悲しみのあまり自害を遂げる
それを聞いた父影宗は怒り狂い姫と猫の祠を建て、その前で敵兵を呪った
すると猫を殺した敵兵が次々と狂い死にしたと云う
引用元:呪いの儀式が行われる「育霊神社」
ここで「依玉姫」という女神の登場するのが興味深い。
『古事記』や『日本書紀』など日本神話に登場するタマヨリヒメ(玉依姫=霊(たま)の憑(よ)りつく巫女)を連想させる。
猫の置物で哀しさが増す
育霊神社はもともと猫を祀った神社で、裏手に回るとネットでも見かけたことのある猫の石像や置物があった。
いずれも依玉姫を偲んで作られた猫塚だろうか。
拝殿の裏手に回ると、拝殿の建物にくっつくような祠があった。
後から突っ込んだような、よくわからない猫の置物もある。
参拝者が猫に関係する祠ということでお供えしたのだろう。
帰り際、奥の院の周辺を見回してみた。
藁人形と出会ってしまうかもしれない。
だが幸い、この日、藁人形は見つからなかった。
日没前に下山
下山は20分ちょっとだった。
登山口は集落の高台にあるため、見晴らしが効く。
冬になると雪深い地方だけに、秋の訪れは早く、紅葉がまぶしかった。
偶然出会った古老の話
ちょうど、参道そばで掃除をしている地元のおじいさんに出会った。
山城で郭の跡がしっかりと残っているのは珍しいこと。
猫の神様というところから、猫は執念深いイメージがあるため、戦前は粘り強く生き抜けるようにと軍人やその家族が戦勝祈願で無事に帰国するよう奥の院までお参りする人で賑わったらしい。
丑の刻参りのことも少しお話ししてもらった。
つい1,2年前の元旦、みんなで初詣に参道を上っていると、途中の浄め堂の辺りの林に藁人形が2体見つかって、宮司さんが持ち帰ったとのことである。
集落で大切に守られる神社だと再認識
地元の人からすればとても大切にしている神社で心霊スポットとして扱われることは複雑な気持ちであろう。
おじいさんの表情からもすっきりしないものを感じるとともに、心霊スポットとされる場所を生活する上で心の拠り所としている人たちもいるということを改めて感じた。
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