1972年(昭和47年)の浅間山荘事件は戦後の社会を揺るがし、日本の方向性を大きく変えていった事件の一つだと思います。
私が生まれる前ということ、また学生の頃に祖父や父をはじめ同時代に生きた人たちに当時の感覚を尋ねたもののはっきりとした答えが返ってこないまま今に至ります。
調べても見えてこない昭和40年代の様相
学園紛争や安保闘争の時代を生きた若者は、70代から80代が中心でしょうか。リタイアしている人たちが多い一方で、今でも社会の中枢で活躍している人たちが多いのも、後に生まれた者がこの時代を理解するのが難しい理由かもしれません。
社会情勢はもちろん事件自体だけでなく、その前後の流れがつかみづらいと感じながら、色々調べていますが五里霧中の状態です。
通り過ぎてしまいそうな場所にある顕彰碑
浅間山荘のあった軽井沢の市街地に、事件で殉職した警察官を顕彰する「治安の礎」がありました。
南軽井沢と言われるエリアで、軽井沢駅から南に一本道を南下した小さな交差点にあります。
場所の見当を付けてからアクセスしないと、通り過ぎそうな場所です。
日本の安全を祈って
5mほどのアプローチの先に石囲いが設けられていて、その上に「治安の礎」と刻まれた黒色の石碑が置かれていました。
石碑の側面には「昭和四十七年二月二十八日殉職」、裏面には事件の概要を伝える文章が刻まれています。
軽井沢のもうひとつの顔
華やかな避暑地である軽井沢のまた違った側面を感じる、非常に重たい場所です。
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