失敗を受け入れる勇気:エリクソン流セラピーから学ぶ
ジェイ・ヘイリーの「アンコモンセラピー:ミルトン・エリクソンのひらいた世界」を読んでいて、非常に印象的な一節に出会いました。ミルトン・エリクソンの治療のアプローチが端的に示されている部分で、一般的なセラピーのイメージとは一線を画す内容でした。
私は代数学の夜間コースに通うよう勧めました。彼も私も、それをうまくやれるとは思っていませんでした。でも私は何か肯定的なことを試す前に、否定的なことを強調し処理することが望ましいと感じたのです。
患者にはたとえ間違っているときでも正しいと感じ続けることが必要であり、治療者はこれに加わることが必要です。そして患者が間違いを正すときが来たなら、彼は治療者と共にそれをするのです。こうして治療はより協調的なものとなるのです。
ハロルドはすぐに代数学をマスターすることができなかったと嬉しそうに報告しました。私も同様に喜んで、彼の失敗に満足を表明しました。
これにより、ハロルドが”合格できない”ことを発見するためではなく、”合格できるかどうか”を発見するために、科目を利用するのは誤りであったことが証明されました。この言葉はハロルドを困惑させましたが、これは後に学校に行ったときのための基礎作りなのです。
失敗を安全に達成したことにより、ハロルドはほかの指示に従いやすくなりました。
私が特に注目したのは、患者が「たとえ間違っているときでも正しいと感じ続けることが必要であり、治療者はこれに加わることが必要である」という部分です。そして、患者が間違いを正すときが来たら、治療者と共にそれを行うという協調的なアプローチです。これは、まるで患者が抱える「間違っていること」に無理に反論するのではなく、まずはその状態を受け入れ、寄り添う姿勢のように感じられました。
「間違っていること」にしがみつくことの治療的意味
引用の中のハロルドの例は、まさにそれを象徴しています。エリクソンはハロルドに代数学の夜間コースを勧めるのですが、それは彼が「うまくやれるとは思っていなかった」こと。私の解釈では、これはまるで、外科手術という大きな負担を回避するために、内科的な温存療法でなんとかしのぐような、つまり、「間違っていること」にしがみつき、その状態を一時的に維持することで、より大きな苦痛や変化から身を守ろうとしているかのようなアプローチに見えました。
そして、エリクソンはハロルドが代数学をマスターできなかったことを「嬉しそうに報告」し、エリクソン自身も「同様に喜んで、彼の失敗に満足を表明した」とあります。これは、常識的に考えると非常に奇妙な反応です。
失敗がもたらす新たな自信
しかし、ここがエリクソン流の奥深さなのでしょう。あえて「できないだろう」ということにチャレンジさせ、そしてできなかったことに対して自信を持って、「自分には向いていなかった」と世の中に宣言できる。この「失敗の宣言」が、実はその人の社会的な自信に繋がるのだと私は感じました。失敗を安全に経験し、それを乗り越えることで、人は次のステップに進む準備ができるのです。
引用にあるように、ハロルドは「“合格できない”ことを発見するため」に科目を利用したのであり、「“合格できるかどうか”を発見するため」ではなかったという言葉は、最初は困惑するかもしれません。しかし、これは単に「できないこと」を突きつけられたわけではなく、「できない」という事実を安全に確認し、受け入れることで、今後の学習や人生の選択において、より現実的で建設的な土台を築くためのエリクソンの巧妙な戦略だったのではないでしょうか。
このエリクソン流の「失敗を受け入れる」というアプローチは、私たちが日頃、完璧を目指し、失敗を恐れてしまう傾向にある中で、非常に示唆に富んでいます。失敗は終わりではなく、次へのステップのための貴重な情報であり、時には自信を育むための通過点になり得る。そんなことを、改めて考えさせられた一節でした。