ふと諏訪湖近くの遺跡のことを思い出した。
ちょうど昨年、諏訪周辺を回りたいと調べていたとき、中央道の走る原村に阿久(あきゅう)遺跡と呼ばれる縄文遺跡があると知った。
立石を環状列石が取り囲むという、古代の祭祀の場所だったらしく、全国的に見ても貴重な遺跡だったらしい。
遺跡から出土した土器などが村の収蔵庫に保管されていて、去年見学の予約までしていたものの旅行自体が実現しなかった。
諏訪湖まで
今回の旅の途中、ダメ元で村役場の文化財担当に電話をした。
以前の経緯を伝えた上で、収蔵庫を見学できないかの相談である。
原則、事前の団体予約でしか受け付けていないそうだが、嬉しいことに特別に案内してもらえることになった。
諏訪湖を取り囲む諏訪市の街並みが一望できる諏訪湖SAまで来ると、10時を回っていた。
約束の時間に間に合わせるため、諏訪インターより東京寄りの諏訪南インターまで走る。
諏訪盆地一帯はなだらかな丘陵地のはずなのに、諏訪南インターの手前で傾斜のきつい登り坂になったのが気になった。
先に阿久遺跡の現地を見学
最寄のインターを降りて高原ならではの広々と続く一面の畑のなか、阿久遺跡があった。
木々の前に看板が立っている。
奥は、ちょっとした丘のようで味のある林が見える。
しばらく林の中を歩いて、気持ちを落ち着けてみた。
丘のすぐ下に以前ネットの画像で見ていた収蔵庫があった。
付近に車を停めて看板や森の写真をカメラに収めていると、村役場の公用車がやって来た。
50前後の女性職員だった。
収蔵庫の見学といっても建物そのものは体育館の用具室のような雰囲気で、内部はさっぱりしている。
入り口すぐの前室に書類がたくさん並んでいて、その奥の広い倉庫にぎっしりと修復された土器やこれから修復を待つ無数の木箱がうずたかく並べられていた。
館内は撮影禁止だった。
その代わりなのか、縄文時代の特徴に始まり、原村の遺跡や土器のポイントを丁寧に解説してもらって助かった。
日本随一の縄文大国
八ヶ岳の裾野に広がる原村は縄文遺跡が数多く発見されている。
もともと八ヶ岳から麓に向かって谷と尾根が山頂から縦状に交互に起伏の続く土地だった。
低い尾根の直下は人々が安全に暮らすのに都合が良い。
温暖だった縄文時代
縄文時代は現在より2〜3度気温が高かったという。
したがって、標高900m台の原村であっても当時は温暖で、山の恵みがふんだんに獲れた。
実際、村内の縄文遺跡から出土した遺物を調べると、日本でもトップクラスの人口と繁栄を誇っていた土地で、気温が下がり稲作文化の弥生時代に移り変わるまで、今から信じられないぐらい栄えていた土地らしい。
事実、縄文遺跡の次に時代をさかのぼることができるのは平安時代まで待たなければならないそうで、それほど縄文時代の原村の豊かさは突出していて、その後、ほとんど人が住む痕跡がないほど消えていったようだ。
残念ながら昭和末期から平成に入った頃、田畑の土地改良事業によって谷と尾根で構成された原村の大地は平らにならされた。
その際、貴重な縄文遺跡も数多く壊されて農地になってしまい今に至る。
その象徴が国史跡の阿久遺跡といえるかもしれない。
盛り土で覆われる国史跡
原村最大の遺跡は、中央道の建設時に発見された。
立石は倒れていたもののメンヒルであり、周囲を大小無数の石が取り囲む環状列石群が広大に見つかった。
時代は少し遅いけれど、すぐそばにある現在上りと下りの中央道原PAになっているエリアからも縄文時代の住居跡が見つかった。
問題は阿久遺跡の発見された場所で、ちょうど諏訪インターと諏訪南インターの間、中央道が長い直線ルートになる道路直下に当たってしまう。
遺跡の場所を除いて工事がほぼ完成していたこと、遺跡を回避して修正することはできないなどとして、当時の道路公団は遺跡の上に盛り土をして保存し、その真上に中央道を計画通り建設することで解決した。
いまでも諏訪インターから諏訪南インターの間に不自然かつ傾斜のきつい登り坂があるのは、遺跡保存のための盛り土のためである。
現在、中央道のすぐそばにある阿久遺跡の一部に当たる丘を縄文の森に戻そうという村の事業が進んでいる。
クリやクヌギを中心に縄文時代にメジャーだった樹木の植栽を推進して、遺跡の啓発活動につなげるとのことだ。
以前であれば遺跡の復元は現にその場所でなければ許可が下りなかったようだが、現在は多少離れた場所であっても可能になっているようで、立石や環状列石を丘のすぐ近くに復元する話も進んでいる。
マニアの凄み
帰り際、職員から「ここまで遺跡の収蔵庫を見に来るというのは縄文時代がお好きなんですか」と聞かれた。
聞くと、縄文時代のマニアは縄文のみに熱い人が大半とのこと。
「縄文も平安も明治も色々な時代が好きなんです」
と答えると、
「色々な時代が好きな方も縄文遺跡にいらっしゃるのね」
とにっこりしつつ不思議そうな顔をされていたのが印象的だった。
縄文時代のみフリークという歴史好きの人たち。
きっとその熱量たるや凄みを帯びているのだろう。
職員からの縄文レクチャーを1時間半みっちり受けて、村内の遺跡の土器が一部展示されているからぜひ訪れて欲しいとすすめられた美術館へ向かった。
コメント