初めて富士山を見たのは高校2年生の修学旅行だった。
松山からバスで新大阪まで出て、そこから新幹線で沼津まで向かう途中で、五月晴れの車窓から見える富士山は写真で見る姿そのままだった。
中学2年生の夏、青春18きっぷで北海道まで一人旅をしたことはあったが、往路も復路も東京・大垣間の夜行列車を使ったため富士山を見られなかった。
目の前を通っていながら肉眼で見ていないというもどかしさを抱えたまま3年越しに「日本のシンボル」である富士山に出会えて静かな感動を覚えた。
日本一高い山で日本人に親しみが深い富士山ではあるが、西日本に住んでいると身近な存在とは言えず、遠い世界の存在という気持ちがしないでもない。
ただ、25歳で神社巡りを始めてからは、少しずつパワースポットとしての富士山に心惹かれることが増えた。
最初に富士山周辺を訪れたのは30歳頃だった。
静岡県富士宮市の富士山本宮浅間大社と山宮浅間神社を訪れた。
富士山本宮浅間大社は朱色の可憐な社殿と湧玉池で知られた名所で、境内は清澄な空気に包まれている。
本殿越しに見える富士山は格別美しい。
車で10分ぐらい移動した県道沿いにある山宮浅間神社は、当時まだ一般に知られていない神社だった。
鳥居付近に車を停めて参道を進み、鉾田石に手を合わせてから拝殿を裏手に回ると、本殿がなく木立の向こうに迫力満点の御神体である富士山が聳えている。
古代祭祀そのままの佇まいが残されていて、富士山から吹き下ろす冷風に身も心も浄められた心地がした。
また、同じ時期、諏訪から中央道で富士吉田で降り、北口本宮冨士浅間神社にも参拝した。
参道には杉林と石灯籠が立ち並び、一瞬で富士山の懐に入り込んだような感覚に包まれる。
富士山頂を起点として鬼門に当たる北口本宮冨士浅間神社と裏鬼門となる富士山本宮浅間大社や山宮浅間神社とは、方角や距離こそ違え境内の雰囲気が極めて似ていて、山の胴体を貫くトンネルのようなものがあって同じ空気が行き来しているような幻想が見える。
松山に住んでいる身からすると、富士山周辺は頻繁に訪れてお参りができるほど近い距離ではないが、それでも数年に一度訪れる度、日本の大地の時間や空気の流れが生まれる裂け目の一つのような感じがして、いつも細胞が一つひとつ沸き立つような新鮮味を覚えるエリアである。