神社巡りを続けていると、折に触れて幾度となく訪れたい場所が生まれます。
それは、意外に大きくて有名な神社でないこともしばしばです。
西宮にある越木岩神社もそうした地味ながら自分の存在の根に関わる非常に重要な場所です。
自分自身にとってどこまでも大切だと感じると言うことは、偏に今立っている場所から宇宙に広がるすべてにとっての重大な聖地であることに相違ありません。
越木岩神社と神戸
いまとなっては越木岩神社といっても近くにある”えべっさん”で有名な西宮神社のように一般に知られた神社ではありません。
しかし、丘陵地に鎮座する境内の奥には甑岩(こしきいわ)という社名の由来となった巨大な磐座があって、周辺の六甲山、摩耶山、甲山、目神山、石宝殿に有馬温泉といったこれぞ「神ノ戸」と言えるラインが無数に結ばれています。
ここまでの次元の磐座ともなると、パワーがどうだとかご利益がどうだとか、そういった世俗の願いはとうに超越してしまいます。
磐座が破壊の危機に
ただ、最近、もとは越木岩神社の磐座として大切にされてきた二つの巨石が破壊されるかも知れないというニュースを耳にしました。
越木岩神社の隣に女子短大が有り、経営難から売却され、すでに旧校舎が解体され更地になっているのは知っていた。
Googleマップの衛星写真から取得した、越木岩神社周辺。越木岩神社の東北側が更地になったマンション建築予定地。
中央部とその南側の緑の部分に「磐座」が有るのを僕も確認している。
その3つの磐座は越木岩神社の境内の東側にある大学跡地のなかにあります。
ただ、その大学が経営難によってキャンパスの土地を手放し、そこにいよいよマンションが建つというのが2015年に入ってはっきりしてきたのだそうです。
磐座は土地の中央に3箇所残されているため、マンション建設となると爆薬で発破されるだろうと危惧されています。
越木岩神社に隣接する大学は経営難の為に用地を開発業者に転売した訳ですが、かつては信仰の対象であっただろうイワクラ、つまり人が心を寄せてきた対象、つまり人の心を破壊しようとしているのは経済的合理性というやつです。人の心はここでも経済的事由によって破壊されようとしている。
— Saussure (@mamiyac330) 2015, 4月 11
大好きな甑岩神社と奥にある大好きな岩。破壊される岩はこの子じゃないけど哀しい気持ち。 pic.twitter.com/g3eOV16EKc
— じゅぬ (@Jslaboratory) 2015, 4月 12
越木岩神社の磐座を壊すてやばいだろ。西宮では広田神社と並ぶその筋の聖地やで。荒深道斎の本にも載っとるし、白山幸宣もここで霊示を受けた言うてたがな。社殿よりもこっちのほうが大事やないか。 http://t.co/mxXZCvxxVu http://t.co/AC8c4o4BP9 — 武田崇元 (@sugen_takeda) 2015, 4月 14
パワースポットだなんだと油をかけるような人間たちを集客することに力を入れて、肝心の文化財、それを取り巻く環境を保存維持するのを疎かにしている国。 — みーごん (@megonn4chibi115) 2015, 4月 11
巨石や磐座が集中する六甲山周辺
六甲山周辺には神社として祀られていなくても、大小さまざまな巨石がごろごろ点在しています。
太古は山全体が聖地として古神道や修験者によってひとくくりとしてみなされて守られてきたのでしょう。
しかし、明治から大正に始まる土地開発によって六甲山の麓は高級住宅地と変貌し、名もない巨石は破壊され移動され、どんどん失われてきました。
磐座が時代とともに無くなっていくことも人間の営みの結果であり、頑なにすべてが守られなかればならないとまでは思いません。
ただ、神社として祀られていない場所や石であっても、だからこそ忘れられたような事象が還って真実を表していることも往々にしてあるのです。
もはや社会に居場所が用意されない『自然崇拝』
教科書では日本は古代から自然崇拝のアニミズムの国であったと教わります。
確かにそうなのですが、現代社会にあってはそうしたアニミズムが社会の枠組みの中で取り込まれていなければ守られづらいという危機的な状況を呈しています。
伊勢神宮や出雲大社、といったように信仰のない人間であっても一目でなにかが祀られていると認識できる場所は今後もどうにか後世に伝えられていくことでしょう。
しかし、どこまでも非常な聖地だからこそ、神社として祀られることもなく、しめ縄を掛けられることもなく、文化財や公園として整備されられることもなく破壊されてきた場所はもはや数えることができないほどでしょう。
古墳を始めそれが天皇陵であっても、人々は生活のため陵墓を切り崩し畑にしたり、巨石を田畑の石垣として転用したということを江戸時代や明治時代あたりまではいろいろと行ってきました。
どの町を訪れても古墳だらけという奈良でさえそういう推移をたどってきたのです。
俗と聖の棲み分けがなくなる時代に
西宮の高級住宅地になぜこれほどまでの巨石が点在しているのか。
古代よりひっそりと大切に守られてきた場所だからこそのそこはかとない自然の力がそのまま現世に明るい光を照らしてくれていたおかげではないでしょうか。
おそらくあの二つの磐座はあの一帯にあらゆる方向から集められた陰のものをすべて背負って砕かれて、どこかの世界に持って行ってくれることになるでしょう。
もはやキャンパス跡は更地に変えされて、磐座部分が残るのみとなっています。
近々工事は粛々とスタートするのでしょう。
祟りだとかといったそんな浅薄な不安など吹き飛ばすほどもっともっと深い地球のうめきを眠れない夜に人々は聞くことになるはずです。
ただ、近いうちに現地を訪れてその犠牲に感謝を伝えることしかいまは思いつかずにいます。
rivision#1 引用文(越木岩神社からイワクラ学会宛てメール)を削除&一部追記・修正 ー2015/04/26
rivision#2 磐座関連記事リンクを追記 ー2015/04/28
コメント