家族で西条の整体屋さんに通う日、前から行こうと話してた新居浜の別子銅山に立ち寄りました。
マイントピア別子
マイントピア別子は現在、道の駅も兼ねたテーマパークとして別子銅山の歴史を伝える観光スポットになっています。
ロビーに入ると、いきなり新居浜太鼓祭りの太鼓台の実物展示。
迫力満点です。
施設内には日帰り温泉「別子温泉~天空の湯~」も併設されています。
とろりとした柔らかい美肌の湯でした。
愛媛と住友の深い関係は別子銅山にあり
別子銅山は、江戸中期から採掘が始まり、昭和48年の閉山まで住友家の屋台骨を支え続けた鉱山です。
元禄3年(1690年)、標高1,000mを超える別子山村に発見された露頭を手がかりに、ここに良好な鉱脈があることを確認した住友は、翌年、採掘を開始。全国各所から採鉱や運搬にあたる稼人を募り、急速に採掘体制を整えていく。記録によれば、発見からわずか5年後の1695年には、別子銅山山中に2,700人もの店員と稼人が暮らす鉱山町が形成されていたという。
以来、200年近く江戸時代を通じて、別子銅山は日本、あるいは世界でも有数の銅鉱山としてその名を天下に轟かせてきた。
昔の人はすべて人力で、頭が下がります。
近代化で導入されたトロッコ列車。
鍰煉瓦(からみれんが)。
鍰(からみ)とは、鉱石を製錬する過程で生まれる廃棄物で、かつては建材としてよく使われていたそう。
それほど重たいようには見えないが、1個約60kgもあるらしい。
東洋のマチュピチュ・東平(とうなる)
マイントピア別子は、1993年にオープン。
当時、高校生でしたが、家族で開園当初、訪れたことがありました。
トロッコ列車に乗ってテーマパークまで行き、家族みんなで砂金採り体験したのは良い思い出です。
観光案内図を見て、東平の廃墟が気になった私は、運転で疲れた父にせがんで、車で約30分走ってもらいました。
まだ松山から新居浜までは高速道路が完成しておらず、土居・川之江間だけだったと記憶しています。
車の運転をするようになってから時々思い出しますが、よく一日しかない休日で運転してくれたなと父の家族サービスに感謝です。
マイントピア別子から県道を進み、さらに山道を入って、見通しの悪い道を5キロ以上。
現在「東洋のマチュピチュ」として知られている、採掘で使われた建物や住居跡を見に行きました。
まだ廃屋には往時の電化製品やイスなどが転がっていて、生活の痕跡が確かにありました。
今でこそ「東洋のマチュピチュ」として観光地化されている東平(とうなる)地区は、荒れ果てた状態でした。
バブル期直後、古いものは価値がないというような雰囲気が漂っていました。
現地に案内板などほとんどなくて山に埋もれていくのだろうと子供ながらに思っていましたが、ここ数年の観光地化でこれほど有名になるとは驚きです。
というより、当時から古いものが好きだったのだなと可笑しくなってきます。
レトロな煉瓦が愛らしい水力発電所
銅山採掘のために明治45年に建設された水力発電所。煉瓦造りが当時の雰囲気を伝えています。
歴史と自然の豊かな別子は行楽にぴったり
周辺は四国山脈らしい高い峰に囲まれていて緑も多く、休日のドライブにも最適です。
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