パワースポットである松山市役所前のお袖大明神というお狸さん。
一時期、引っ越していたいわれる場所を訪れました。
それが、今治市大西町の山奥にある明堂さん(明堂院)です。
四国といえばお狸さん
四国は狸の伝説が数多く残されている土地です。
ジブリ映画「平成狸合戦ポンポコ」の題材になったという話も聞こえてきます。
讃岐の屋島の狸や松山の隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)または刑部狸(ぎょうぶだぬき)はとくに有名です。
お狸さんのポイントはものすごい霊力があること、場合によっては祟ること、大切に祀ると守ってくれること、でしょうか。
引っ越し先も見てみたい
あとはスタンダードな松山のお袖狸。 pic.twitter.com/pwDSTGLQMC
— Mrs.ロブ・ゾンビちゃん (@rob_zombie_chan) 2016年4月10日
松山市役所前のお袖大明神
ちょうど松山のお狸さんの伝説を調べていたときでした。
松山随一の狸のパワースポット
松山市役所前に、地元の人からそろそろ忘れらようとしているパワースポットがあります。
伊予鉄道の市内電車で道後に向かっていると、南堀端を過ぎて市役所が正面に見えてくる。
すると、松山城も見えるお堀のすぐそばに赤い鳥居と幟(のぼり)が一際目立つ一角があります。
これがお袖大明神でお狸さんです。
このお狸さん、いわくつきで、道路改修で移転しようとしたが工事が上手く進まずそのままにされた、とか、かつての市長が病気のとき願掛けをしてご利益があったとか、さまざま噂が流れています。
松山では馴染みの市役所前のお狸さんが、しばらく今治の山奥の方に引っ越していたという話を知りました。
この明堂さんの端にある大榎(山桃という説もあります。)のほら穴に、松山市の市役所前の堀端の大榎に住んでいたと言われる狸が移り住み、人々の願いをよくかなえたそうです。この狸は、先祖が松山城に住んでいてお袖狸とか八股榎大明神と呼ばれ末永く松山城を守った血統つきの狸族です。難病奇病をよく治しましたが、特に明堂さんの大榎をなで、そこへ灸をすえると、すごく効き目があったそうです。このお袖狸も1年ほどここにいましたが、きれいな娘さんに化けた松山の仲間数匹に迎えられて、元の松山に帰ってしまったそうです。
『きれいな娘さんに化けた松山の仲間数匹に迎えられて』松山に戻ったというのがなんともほほえましくて、気になっていました。
ちょうど今治から松山への帰り道、この明堂さん(明堂院)に寄ってみました。
玉川町から大西町への峠越えの途中に
明堂院は今治市玉川町から県道163号線を峠越えして旧大西町に入り、すぐにあります。
ちょうど遠景に海や船のドックが見えてくると、立て看板が目印です。
県道から徒歩3分
県道脇の立て看板から山道のような参道を歩きます。
ところどころ、コンクリートの階段と真新しい手すりも付けられていて、あっという間にお堂へとやって来ました。
こぢんまりとした佇まいで、コンパクトにエネルギーが凝縮されています。
もっと陰の空気が強いかなと想像していましたが、いい感じでこなれている印象です。
境内はきれいに掃き清められていて、山奥のお堂になのにいまでも大切に守られている様子でした。
本堂で手を合わせてから左に回り込むと、赤い鳥居に「八股大明神」とあります。
この大きな榎のふともに、松山市役所のお狸さんが仮住まいしていたようです。
もの言いたげで、風に吹かれる柳のような雰囲気をしていました。
次は磐座までチャレンジ
本堂の裏手から少し奥に進むと、奥の院である『おひつ岩』への案内板がありました。
山道を800mとのことで、この日は時間がなかったため引き返しました。
背後にある、重茂山の中腹へとつながっているのでしょう。
ぜひ次回は軽登山の装備でチャレンジしてみたいと思います。
太平記の動乱を思いながら
明堂院は、南北朝時代の後醍醐天皇の皇子の『廟堂』が訛ったという伝承もあるようです。
越智郡大西町の大西駅から約2キロの位置にある重茂山の麓の大西町山之内に明堂菩薩をお祭りしたお堂があります。このお堂は、南北町時代の昔―詳しくは延元3年(1338)―この地で亡くなられた後醍醐天皇の第6皇子尊重親王の霊を祭るために天正年間(1573~1592)に河野一族の重茂山城主岡部忠重が創建、仏像を安置したのにはじまると言われます。
(現地の立看板より転記)
南北朝時代の伝説は全国各地に残されているため、その真偽のほどはわかりません。
いずれにせよ、古くから重茂山一帯が聖なる場所として大切にされてきたことは間違いないようです。
もし、松山市役所前の赤い祠が気になったら、一度お狸さんの仮住まいだった明堂院にも足を運んでみると新たなご利益が得られるかもしれませんね。
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