夏に流氷を見ることができるとポックリいける…… ——
そんな話を聞いたことはないだろうか。
北海道イメージの刷り込み
ちょうどいま、松山の百貨店では、北海道展で全国一の売り上げを誇るという『北海道の物産と観光展』が開催中。
子供の頃の北海道に対するイメージというと「いよてつそごう(現在のいよてつ高島屋)」で買って帰るスイートポテトや釜めし、森のイカめしがほとんどだった。
そして、たまにテレビで見る富良野のラベンダー畑。
数少ない情報からとんでもないイメージを膨らませるのが子供というものだ。
そこに割って入ってきたのが、『意地悪ばあさん』でロケ地になっていた稚内の風景だった。
意地悪ばあさん、北海道へ
昭和60年代、小学校の頃は、青島幸男さん主演の『意地悪ばあさん』がスペシャル版として立て続けに放映されていた。
シリーズ中、とても影響を受けたのが、1988年10月放送「意地悪ばあさんスペシャル 流氷求めてポックリ作戦!(流氷求めてビックリ作戦!) 稚内の巻」。
小学校5年生のとき、ビデオに録画していたため、何度も見返していて今でもあらかたのストーリーとシーンが頭にある。
稚内の巻のあらまし
意地悪ばあさんは東京の夏のあまりの暑さに耐えかねて、ご近所に『流氷を夏に見るとぽっくり』という噂を流す。
息子夫婦がこの話を耳にすれば、必ず自分を北海道に連れて行くだろうという算段だった。
河崎長一郎と坪内ミキ子扮する夫婦が話し合った結果、夏でも流氷がありそうなのがさいはての稚内だろうと言うことになり、意地悪ばあさんを北海道旅行へと連れ出した。
稚内の観光地を回り宗谷岬に到着するも、流氷をばあさんに見せることはできない。
ようやく落ち着いたところで種明かしをするばあさんだった。
いざ稚内へ!
この小5の時に見た稚内の映像にあこがれて、初めて北海道を旅したのが中学2年生の夏休みだった。
子供の頃から鉄道好きで、いまでいう乗り鉄だったこともあり、小6で四国一周をした後、貯金と親からの援助をもらって1週間、青春18切符の旅に出た。
当時はいまのような殺伐とした雰囲気はなかったので子供が一人旅をしても危ないという感覚は親も社会もあまりなかったように思う。
ただし、いまなら中学生や高校生が一人で普通に海外旅行に行ける時代になったけれど、平成元年前後というのは子供の感覚からしてみても四国から大阪に出るのすら遠い異国を旅するような心地がした。
丸2日かけて津軽海峡を越える
松山を始発で出発して青森駅に着いたのが2日目の夜。
その後、北海道では特急のフリー切符を使い3日目の昼にようやく稚内へ到着。
稚内では日本最北端駅の証明書や郵便局でゴム印をもらったあと、防波堤ドームを歩いた。
稚内の街は想像以上に寂れていて人もおらず、夏にもかかわらず寂寥とした気分になった。
『意地悪ばあさん』でおいしそうに食べていたウニイクラ丼を市内の寿司屋で食べるとようやく気持ちも晴れてくる。
たしか、1500円だった。
夏に流氷でワクワクした日
1週間の旅行中、宿には一切泊まらず夜行列車でのみ過ごしたけれど、いまはあんな旅はできないだろう。
でもそのおかげで、稚内の後は網走、小清水原生花園を回って釧路から札幌へと主な都市を巡ることができた。
あれから23年も経って、稚内にはそれっきりである。
そして、夏に流氷を見れるかどうか、今でも気になるところだ。
『意地悪ばあさん』の稚内の巻はいまでも、子供の自分を北海道まで連れて行ってくれた凄まじいきっかけとしてときどき思い出している。
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