宇佐神宮と御許山|大分県宇佐市

2010年4月8日に行った、大分県宇佐神宮
愛馬のスーパーカブ90で初めて海をわたりました。
旅のメモとして書いていたものをこちらに転載します。

宇佐のたび(2010年4月8日)

8:00 松山出発

数日前から宇佐神宮に呼ばれるので、いま愛媛の最西端、佐田岬の三崎港で九州行フェリー待ちです。
愛媛の海岸線を走ってきましたが、風が強いものの天気がとてもよく、ツーリング日和!
これから楽しみだ~!

15:35 宇佐神宮到着

宇佐神宮大鳥居(大分県宇佐市)

出だしが遅かったんで、いま到着。フェリーでみかけたご夫婦と参道ですれ違いました。高速道路の差だな。

思ったより広そう…

宇佐神宮下社

社殿は華麗にしてシンプルです^^b

八坂神社と金堂跡

八坂神社

境内社の八坂神社で三十分ほど神拝。

お宮横の立派な楠の下に正座してたら、お経やら真言やらが口から出てきて、最後は額を地面に
つけたくなったので、チベットの人みたいに何度も。泣けて来ました。改めて、きちんと真言密教や
チベット密教の師を得て、ちゃんとした学びや灌頂を受けたくなったな。。。

上の画像は八坂神社隣の、神宮寺の金堂跡の礎石です。

今回宇佐神宮に来たくなった理由のひとつが、義江彰夫先生の「神仏習合」(岩波書店)と学研から出ている「神仏習合の本―本地垂迹の謎と中世の秘教世界」を読んだからでした。
明治まで濃厚に存在していた神仏習合について、多度大社とともに大きく論じられていたのが宇佐神宮だったのです。

境内散策はまだ続く

さてさて、宇佐神宮に到着して一時間半。五時のメロディがなりましたが、なかなか帰らせてもらえません。

本殿つくなり、早く奥宮に来なさい、っていわれるし、駆け足で回ってたら、素戔嗚さんに呼び止められるし、
江戸時代の宿場町の、宿屋の客引きみたい(笑)

おみくじで大吉、何事も末の見込みがある改めかえてよい運 and 護王様、和気清麻呂公がでたので、最後に参拝します。

てか、いまから標高600mの御許山いってたら、あきらかに下山は暗いな。

17:10 足腰の神様

護王神社へ続く石段(宇佐神宮)

画像は、さすが足腰の神様、護王様までの石段です! 心臓やぶりや(汗)

護王神社

大尾神社

護王神社、大尾神社。

さすがに、本殿から離れた丘の上なんで、観光客とかは来てません。

宇佐神宮の本社をひととおり回り終えたので、いよいよこれから奥宮に向かいます。

17:30 悪路の修行

御許山、大元神社はヤられました~~(涙)
約四キロの急な未舗装の林道をひたすらカブ、一速で一瞬も気が抜けないみちのり 横は崖、わだちは露出した石でタイヤが滑りそうになるし(*_*;

二十分くらいひたすら上がると、やっと車を停めるスペースが見えて来ました。

そこから十分ほど歩き、大元神社に到着。宇佐神宮の奥宮です。

大元神社(宇佐神宮奥宮)

拝殿裏には石の鳥居があり、そこから上は鉄条網で塞がれた禁足地。山頂に宇佐の神が降り立ったといわれているからです。

拝殿前はロウソクがたくさん灯されたような石の燭台が。ロウソクなど火の始末を喚起する看板もあり、宇佐神宮でも感じていたけれど、奥宮までくると、もっと修験的な、応神天皇は表面的なもので、山や水に対する深い原始的な信仰を感じます。

大元八坂神社

拝殿の向かいには、なんと大元八坂神社との看板と石の鳥居が!

大元八坂神社の祠

今回もやはり〆は須佐の男さんなのね~  神前に正座し、祝詞と読経。そのあと、覚えたての真言神道的な作法で、いまいちばん願いたい事を伝えました。ときどき、うぐいすの鳴き声が祝福してくれてました~♪

別府市内への港へとんぼ返り

終わったころには、日もとっぷり暮れて、帰りの坂道が怖いこと怖いこと。

ようやく下山したら、夜になってました。

いまごはん。これから温泉にさっと入り、港に向かいます。

佐賀関港から国道九四フェリーで四国へ

フェリーにのります~♪

下船が0時過ぎ。それから松山まで約八十八キロくらい、二時間半。帰宅は深夜三時前かなあ。

いい旅でした~
気をつけて帰りま~す^^b

翌7:00 おはようございます & ただいま

深夜二時半に帰宅しました。

いま宇佐神宮の授与品を開けてました。

宇佐神宮の神のお使いである白い神馬は神棚に。かつて八幡大菩薩は、白馬に乗って宇佐の山々を駆けていたそうです。ミニ御幣までついてるのがニクいなあ~w

気に入った神社の交通安全ステッカーを集めてるので、宇佐神宮も。

今回はカブで行ったので、カブに貼るつもりです^^

2010年4月8日〜9日のmixiログを再構成