与那原町綱曳資料館は町の公民館のような建物だった。
綱曳きのまち
前庭が小さな児童公園になっていて子供達が遊具で遊んでいる。
運動場のような地面にセメントの祠が建っており、それが地域の拝所(うがんじゅ)の一つ、親川(うえぇがー)である。
今回、沖縄に来る前、少しネットで調べていてとても興味を惹かれたのが「東御廻り(あがりうまーい)」だった。
かつて琉球王が首里城を出発して沖縄南部まで拝所や御嶽と呼ばれる聖地を巡り、ラストは久高島に向かうという巡礼の道である。
世界遺産となり有名になった斎場御嶽(せいふぁーうたき)もその1箇所に当たる。
斎場御嶽は沖縄旅の最後の方で訪れようと思っていたので、まずはなるべく東御廻りの順番通りに進むのがいいかもしれないと与那原までやってきた。
巨大な綱に圧倒
拝所に隣接する綱曳資料館の扉が空いていたので入ってみた。
いま夕方5時過ぎ。
看板には5時半までとあって、すでに2階の資料室は閉めてしまっていたが、スタッフのおばちゃんがわざわざ開けてくれた。
こちらはミニチュアで、本物は90m、5トンある。
那覇にも綱曳きの夏祭りは続いているが、いまでは都会化されてトラックで運ぶらしい。
与那原ではいまも基本的に巨大な藁縄を六尺棒を中心に使って担ぎ上げる。
縄の中央に七人の支度(郷土などの歴史や物語に登場する人物に扮した役)が乗り町の大通りを練り歩く。
最終日、2日目の夜には花火も打ち上げるとのことだ。
「毎年、旧暦に合わせて、今年は7月最終土日に開催されるから、是非担ぎにきてください。
誰でも参加できるし、こればかりは参加してみないとすごさがわからないから」
そう、笑顔の澄んだおばちゃんが力説して来るので、思わず夏のスケジュールをチェックしたくなってきた。
「藁はもう沖縄では大量に確保できないから、内地から毎年送られてきます。」
たしか5トンの稲藁を使うと聞いた。
昔はタコライス発祥の地という北部のキンジョウというあたりから運んできたらしい。
支度の衣装は琉球織物がメインの豪華なもので、毎年新調できなくなってから随分経つという。
近頃は舞台衣装からレンタルするそうだ。
伝統芸能はどこも現代にあって続けて行くのに人々が苦心されているさまが伝わってくる。
帰り際、いくつかのパンフレットと聞得大君(きこえのおおきみ:琉球王国最高位の巫女)のマスコットをいただいた。
沖縄に降り立って初めてしっかりお話しした相手がこちらのおばちゃんでほんとうに良かったと嬉しくなった。
海岸に立つ小さな聖地
綱曳資料館前の親川は東御廻り3番目のポイントになる。
巡礼の旅で使われる水を汲んだ霊泉で天女が産湯に使ったという伝説も残る。
沖縄では立礼よりも地面に正座して拝所や御嶽でお祈りすると聞いたので、倣って腰をかがめて手を合わせた。
そこから歩いて5分もしないところに与那原を流れる川の河口があり、そのたもとに御殿山(うどぅんやま)があった。
かつてここは海辺だった。
天女が舞い降りたという伝承や琉球王や聞得大君たちが仮御殿を建て、ここから久高島へ船を出した。
周囲が埋め立てられて拝所も随分窮屈な感じだったが、一礼をしておく。
御殿山を跡にして、沖縄に来たら必ず見学してみたかった教会へと向かった。
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