雲南市の郊外を巡るヤマタノオロチラインの最後は尾留大明神旧社地。
早朝から予定通り、龍頭が滝、印瀬の壺神さま、温泉神社、天が淵の順番に神社巡りをしていて、お昼が過ぎていた。
車を停めて1時間ほど歩きながら探してみる
こちらは場所ほんとわかりづらくて、1時間近く行ったり来たり、迷ってしまった。
あらかじめネットで見当を付けておいた地図を見直すと「子安観音」で有名という長谷寺があり、一旦その脇に駐車する。
当たりを見渡しても、それらしき神社はない。
手強し!出雲弁
運良く散歩中の80代くらいのおじいさんに出会って道を訪ねてみた。
とても熱心に教えてくれるのだが、訛りがあって半分も聞き取れたか自信がない。
松本清張の「砂の器」を引くまでもなく、奥出雲の方言は東北弁のように『ズーズー弁』でヒアリングが難しいと聞いたことがあったが、たしかにそんな印象だった。
ただ、熱心な説明と身振り手振りから、何となくあっちだろうというのはわかった。
そろそろと思ってお礼をいって立ち去ろうとしたが、繰り返し丁寧に教えてくれるので逆に申し訳ない気持ちになった。
住民にとってありふれた神社に訪れるということ
長谷寺のあたりから1キロほど道を歩いていくと、河岸段丘を利用した広大な農地が見えてきた。
広い田んぼにおじいさんがひとり、肥料をやっていたので、離れた場所から「尾留大明神ってどのあたりですか~?」と聞いてみる。
これまた丁寧に説明してもらう話の半分ぐらいしかわからなかったのだが、どうやら「道を上に上がって下において……」と説明のややこしい場所らしいのはわかった。
立ち去ろうとするとこれまた1人目のおじいさんと同様、何度も説明してくれるので、必死にヒアリングをした。
「どこから来たのか」と聞かれたので、「愛媛からです」と答えると、とてもビックリされて「それはご苦労様なことです」と声をかけてもらった。
地元の人からしたら、村にある観光化もされていない神社の跡地を訪ねて四国から来るというも、不思議に感ずるのだろう。
たまたま出会った御代神社での発見
2人目のおじいさんの指先の方向に従って、さらに1キロほど歩いた。
駐車場所から30分以上、歩いただろうか。
道路の脇に「御代神社」という扁額の鳥居を見つけた。
当初の目的地は尾留大明神だったのだが、由緒書の看板によると、出雲風土記にも登場する式内社らしく、さらに尾留大明神の新々宮だという。
尾留大明神はもともと斐伊川の川岸の畑一体にあった。
元来、暴れ川であり、ある年の洪水で氾濫の心配のない場所に遷され、さらに大正頃、現在の御代神社の場所に遷座したらしい。
ヤマタノオロチとは治水に悩まされた斐伊川のことだとする説もあるのもうなずける。
御代神社の本殿後ろがまたとてもステキな空間だった。
石の祠の佇まいが、九州の杷木神社の境内にあったものと大変似ていた。
また2本の御神木が荒神社として祀られていたのが印象的だった。