さて、山科を東西に貫くのは国道2号線の大動脈。
さらに地図を見ると、御廟野(ごびょうの)古墳と呼ばれる、天智天皇山科稜があった。
京都で最古の天皇陵
その昔、天皇陵あたりを御廟野と呼び、江戸初期の地誌『出来斎京土産(できさいきょうみやげ)』には、「此の野への名を忘れなば犬の声只ひゃうひゃうとひろき御廟野」とある。天智天皇は671年12月3日、大津宮で崩御。御陵の土地が選定されたが、壬申の乱が起こり、天智天皇の死後28年たった699年に、山陵修営官が任命された。
京都にある天皇陵では最古のもので、埋葬者がほぼ間違いない御陵とのことだ。
三条通そばとは思えない静けさのなかで
7月下旬の京都の炎天下。
山科駅付近から20分ほど歩いて山科稜の入口に着く。
自動車の激しく行き交う幹線道路から一歩参道に逸れると、それまでの喧噪も夏の日差しも壮大な林に和らいで、清冽な空気を保っていた。
入口から10分近くかかって宮内庁の衛舎のある御陵の眼前まで来て、脱帽拝礼。
観光客も参拝者も来ない住宅地のなかの巨大な天皇陵だった。