5歳の記憶はどこまで現実か、どこから幻か。

物心ついた時からの記憶をずいぶん意識で覚えているのだが、実際にどこまで本当なのかは確かめようがない。けれど、私たちは記憶の蓄積の上で自分なるものを総体として保っているのであり、そして記憶がなければ、自分の総体というものが、信じられないのもまた確かなのであろう。

小さなときの家族との記憶をどこまで自分が相対化しているのか、客観的に判断できているのかは、非常に難しい問題である。親は、ただ大人であるだけで忙しく、子供は自分が言いたいことを言い立てて、単にそのまま話を聞いてもらえればそれで良いといった傾向は少なくない。しかし、本当に、子どもとしての私たちは、ただただ大人に自分の言いたいことを聞いてもらえればよかったのだろうか。そして大人が適当にうなずいている、子どもに合わせて返事をしているということを、子供として本当に気づいていなかったのかといった問題は、大人になった今でも峻別することは困難と言える。

私の場合、親の顔色や雰囲気と言うものをつぶさに感じ取っていて、親にどこまで自分の思いが伝わっているのかというのを細かくその都度判断しながら大人と対話していたと記憶している。自分以外の、個々の他人の平均的な記憶というものが、どういった形態をとっているのかということは、普段なかなか答え合わせをする機会は無いし、実際にはわからない。

例えば私の場合、明らかに物心ついた時からの記憶が映像として残っている。映像記憶と呼ばれる形態なのだが、一般的に多くの人は映像記憶の方法は遅くても4、5歳で終わり、そこからは言葉による記憶に変わっていくと言われている。ただ、言葉による記憶というものが、どこまで自分がイメージしているものと合っているのかは、自分自身でも見極めが難しい。一般的な記憶が2次元で平面的なものだとすると、映像記憶と言うものはある意味3次元で立体的なものなのかもしれない。そしてそこに直感であったり、霊感であったり、そういう第六感のようなものが加わるのであるならば、その記憶のスタイルと言うものは、4次元以上に上昇するのかもしれないし、立体的に可視化されたものの上に、雰囲気や存在の本質から漂う匂い、イメージ、相手から伝わる情報としての感覚といったものも加わるのであろう。

そういったものを子供の頃から一つ一つ記憶として持っている自分自身の思い出を最近よく振り返ることが多い。親には、親が元気だった時分、子供の頃の思いはもう忘れてしまいなさいと繰り返し言われることがあったのだが、しかしながら、記憶と言うものを自分が捨ててしまうと、自分自身でなくなるような不安もあり、記憶が蓄積されているからこそ、自分でもあると言う安心感もあって、おいそれと捨て去ることができるものではない。そしてそれが自分の個性であり、オリジナリティーであり、自分の独自性であり、自分が自分以外の人間ではないと言う唯一の証拠でもあるのだ、といった心地がするのだ。

両親との思い出はもちろんのこと、料理を覚えたくて、味噌汁やドーナツやオムレツを教えてくれた祖母の優しさだったり、ときには厳しく叱ってくれた祖父の愛情だったり、そういったもの一つ一つの記憶の断片自体が私の認識しているものと、大人の今振り返って、当時の大人たちの立場になったときの記憶と言うよりも、どういう意識でそういう表現をしたのか、それが私の記憶につながっているのかといったテーマは、一生ついて回るような気がする。

私たちは一体、山奥に不法投棄された廃棄物のように山積みされた取るに足らない自身の記憶から逃れることができるのであろうか。記憶と言うものに支配され、記憶と言うものに自分自身が影響された上で大人になってからの人生も大きく左右されると言うのであれば、記憶と言うのは、自分が認識を変えていくことでしか変更できないのであろうし、と言うよりも、自分自身が記憶しているに過ぎないのであれば、その記憶はいつでも自分が変えられるということでもある。「過去を変えると未来が変わる」と言われるのはそういう部分もあるのかもしれない。

私にとって5歳の頃の記憶というのは非常に強烈で、シンボリックなものであり、我が家は特に何かの宗教にこだわっていたり、取り立てて信仰心があるような家庭ではなかったものの、例えば私はたまたま近所のカトリック系の幼稚園に通っていて秋のバザーで祖母に買ってもらった暗闇になると蛍光色に光るロザリオを布団の中でずっと眺めてうっとりしていたり、はたまた毎日通る交差点にある地蔵堂のお地蔵様に手を合わせてみるたびにお顔を見てキュンとしていたり、小さな心を自分が安心できると決めたわずかなものに投射していた。子供が神様や仏様の世界に一番近いといった言い方がされることがあるが、自分自身、記憶として幼少期に体験してきたように思う。

そうした子供の頃の、ある意味、宗教とは言えない宗教的なもの、にまつわる思い出は、どこまで自分の真実の記憶なのであろうか。例え叶わないにせよ、その真実性の割合というものをパーセンテージで出してみたい欲求に苛まれてしまう。

私たちはどうしても記憶を動かしがたい事実として、心に抱きながら生きてしまう。小学校の高学年から中学校の頃1番占いを勉強してはまっていて、ときには友達に頼まれて占いをしていたこともあった。主に四柱推命と数秘術、手相の本を買って、生年月日などを調べて楽しんでいたのだが、占いをしているときの何とも言えない宙に浮いたような意識と感覚と言うものは、幼稚園の頃に感じた、現実でもなくあの世でもない、中間の世界にいるときの感覚にとても似ている。今から振り返ると、大人になって自分で詩を作るとき、着想のイメージによく『乳白色の世界』という言葉を出て来たのだが、それがある意味、5歳の頃の万能感で覆われていた世界に通じるものがある気がしている。

私たちの記憶はとかく曖昧であり、信頼性に乏しく、けれども自分自身の記憶と言うものに私たちはエビデンスを求め、証拠を探し、確かな自分を見つめようとし、しかしいつも裏切られ、だからこそ時に人は占いだったり、霊能的なものに近づきたくなるのかもしれない。

私自身は、物心ついた頃からのこうした経緯を踏まえた上で、大人になると言うことは、すなわち、占いやスピリチュアルなどといった、現実の世界では確固として証明できないものを、自分自身の記憶と区別し、区別できる存在になるプロセスだ、と思って生きてきた。

私たちは、すぐ見えないものだろうと見えるものだろうとかかわらず、何か自分より大きいと思い込んでしまうモノに頼ろうとする。何かに頼り、すがりたいと感じる気持ちそのものは否定すべき必要はないものの、現実世界で生きている以上、そうした類いのものは、あくまで感情として整理して、私自身としては無きモノとして、生きていった方が、まっすぐ生きられるのではないかと言う気がしている。だからこそ、生まれてこの方、見えない世界とずっと付き合ってきていながらも、基本的に自分自身にも周りの人たちにも、見えない世界のモノとは原則として距離を置くべきだと言うルールを大切に考えてきた。

私たちはすべからく、記憶から感情を呼び起こし、感情に左右され、その折節の思い込みだけで行動しようとする。すべての記憶は曖昧模糊としていて、個々の存在にとって確かなものなど何ひとつないのだとするならば、私は、まっさらな白紙の状態で生きていくというのが一番ベストなのかもしれないし、しかし、それでは人生はあまりにつまらなさすぎるし、だからこそ、また小さな頃の記憶をたぐり寄せようとしてしまう。

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