大阪市内の新御堂筋を北へ。
箕面有料道路を通って、高山右近の里の豊能町へ向かいました。
高山右近の里
箕面有料道路を抜けるともう大阪のまちも消えていて一気に山中の雰囲気になりました。
日曜日ということもあり狭い道で制限速度40キロのところをスポーツカーが70キロや80キロぐらいの猛スピードで走り抜けてなかなか怖いです。
しばらく走ると茨木方面に抜ける山道に入ってようやく東能勢の高山に着きました。
大阪というと平野が広がり、見渡す限り建物が続いている、そんなイメージですが、この豊能町はタイムスリップしたような山里の田園風景が広がっています。
キリシタン大名・高山右近の生誕地というわりに、まったくといっていいほど派手さもなく競技用自転車の一行が走り抜けていきます。
自分のなかでは「あの高山右近の生まれたところなのだから、それなりに観光客とか来てるのではないか」と思ってやってきましたが、逆にひっそりと残されてきた感じがうれしいです。
右近の郷を観光拠点に
元高山中学校だったところがいまはコミュニティセンター・右近の郷になっています。
観光客の駐車も可能です。
そこに車を停めて、受付で高山のマップをいただきました。
地図を片手に散策スタートです。
高山マリアの墓
まずは高山マリアの墓へ。
江戸時代中期までこの里に2軒のみ残っていた隠れキリシタンのお墓だそうで、2組の夫婦だといわれています。
木の間から漏れる光がとてもうつくしい林の中にひっそりと守られていました。
地元の方がとてもきれいにお掃除されているようです。
住吉神社
お墓を後にして、棚田を眺望できる住吉神社へ。
通りから眺めただけで大変味のある神社とわかる古社です。
社叢は大阪府指定の保護樹林。
関西では珍しいニレ科の大木がそびえています。
北海道ではよく見かける樹で、アイヌの民族衣装に使われることで知られています。
境内へ入ると、小さな山里の鎮守と思えない荘厳な空気。
室生の龍穴神社を思い出しました。
拝殿を見ると、ヨーロッパのカテドラルのようでかつてのキリシタンの思いがここに残されている印象です。
山村には珍しい住吉さんというのもキリスト教とのつながりを思ってしまいます。
棚田を見ながらひと息。
幕政時代の高山高札場
十字の刻まれた石仏
右近が建てたセミナリオ(神学校)跡のお寺
高山右近生誕の石碑
魂に刻まれる緑色
高山右近の里の滞在時間は1時間ほど。
深い時間の流れる、山里でした。
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