2015年9月に初めて訪れた岡山県津山市加茂町に鎮座するパワースポット、サムハラ神社。
11月下旬に再び岡山の津山までこのパワースポットへ参拝した。
鎮魂から創造へ
サムハラ神社は長い神社巡りのなかで転換点となりそうな感触がしている。
2010年から神社巡りが中心で生きていた約3年を経て、徐々に自分の中の鎮魂が終わってきていた。魂を鎮めるとは背中にずしりとのし掛かっている数十代に及ぶ先祖や親戚、そして有縁無縁の精霊たちを自分のすべてと引き受けて所縁のある土地を巡ることである。
一切の魂を鎮めることは、すなわちたった一人の自分を鎮めることであり、鎮めないではいられない、巡らずにはいられない、何かせき立てられるような人生の一時期でもある。
見えない世界にどっぷりと使っていた鎮めの時期を終えて、ここ2年ほどでようやく、この見える世界で何かを作り上げようという意思や欲求が素直に生まれてきた。
霊的な世界は現実の世界の裏返しであり、だからこそ「現世(うつしよ)」と呼ばれる。霊性の世界での確信はリアルな世界での実現と一体となることが自然だ。
日詰山全体が龍の墳丘か
岡山のサムハラ神社は戦前の新興宗教弾圧や津山事件との関連性から確かに紆余曲折を経た場所に再建されている。
パワースポットたるサムハラ神社というよりは日詰山という丘そのものが実は遠くどこかから運ばれてきたのか、山全体が超文明の陵墓なのか、それとも幽界への入り口なのか、そんな時空の捻れる尻尾が見え隠れする。
慎ましやかに鎮座する現在のサムハラ神社は何とも清々しく清瀧のように溌剌とした力を湛えている。
日詰山展望台の一帯の、中世が畳み込まれたような空間や、広場の奥の謎の石段の結界に渦巻く濃密な重力などすっかり忘れさせるように、突き抜ける爽やかさがある。
神社とはパワースポットを目指して思いが行き着く先ではなく、ここから始まる場所なのだという明確な変化を感じることができる。
これは個人的な感覚というべきかもしれない。
日頃の願いを持参する果てでもなく魂の鎮めを終わらせる黄泉の穴でもなく、ここからサムハラの清風を世に広めるためにやって来たのだという、軽やかな確信である。
金刀比羅神社の拝殿横から少し道をそれると丘の尾根が下へと続いている。
途中まで行ってみて引き返したが、さらに広場に戻って石垣の一帯まで行くとその尾根が続いていることがわかった。
尾根全体がぷくりと太ったスサノオまたは龍の尾のように見えた。
トンネルの入り口の場所がまさしく結界の石垣であろう。
剣を正しく扱うこと
最初に訪れたとき、この石垣一帯は神宮寺の跡のような印象を持った。
仏教的なにおいがした。
サムハラ関係のブログ記事を探していると、ちょうど同じような感覚を持っている人があった。
サムハラ神社は、すべての階段を上りきった頂上にお社がありますが、実はそことは別に古代の祭祀場が敷地内にあり、今回お招き頂いたのは、そこでの“契約の儀”のためでした。
その祭祀場、契約の場所とも呼べるエリアは、密教による特殊な結界が張られており、その封印を解かないと本当の御神体までアクセス出来ない仕掛けとなっている場所で、本日は専門家である長典男さんにすべてを取り仕切って頂き、その後に自分が各地で預かっていた“剣”を献上させて頂きました。
「契約の剣」
祭祀場の中のあるポイント地点に立つと、不思議な感覚に包まれて、神風が吹き始めて雨のような音が聞こえ、そこで受け取ったメッセージとともに、これから始まる新たな2000年の誓いを立てることになりました。
reference:天下泰平
『古代の祭祀場』『契約の剣』『密教による特殊な結界』というキーワードは表現こそ若干の違いはあれ、私のイメージと重なっていると思う。
龍脈=出雲のみちの復活
サムハラを俯瞰する<兵庫ー岡山ー島根>の出雲の道、スサノオの道はそのまま龍脈であって剣の道でもある。
そして、これから2016年以降、次第に重要度が増してくる中心こそ津山も含めた岡山すなわち吉備に他ならない。
これまでのように何か重い物を下ろすため、短期間で続けてやって来たのとはまったく違う実感がここ岡山のパワースポット・サムハラ神社にあった。
あえていえば、剣を持っている人、魂でそれを感じている人、そして剣を光のために行使しようと真っ直ぐに世界を見つめようとしている人。
そういう人だけがサムハラ神社の奥の院で光のきらめきを感じることができるのだろうと思った。
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