数日前から、伯父の家に行こうと父と話していて、今日行ってきました。
行ってから、父が、祖母の命日であることを思い出してびっくり。
もう23回忌になるそうです。
なので、実際は20年ぐらい?
祖母との秘密
小学生の僕は、祖母の部屋にいくと、いつも1時間ぐらいは一緒に時間を過ごして、帰りに「誰にもいっちゃいかんよ」と言われながら、岩倉具視の500円札や伊藤博文の千円札をもらっていました。
20年以上前に、小学生にもらう金額としては多かったなあといまになって思います。
ばか正直というか、きまじめ子供だったので、数回に一度しか父母にはもらったことをいいませんでしたが。
どんな話題を?
それにしても、祖母といったいどんな話をしていたのか、まったく思い出せません。
家族の話でしょうか。
みかんやまの話、学校の話でしょうか・・・。
でも、祖母の顔や声や空気、部屋の空間や窓からの光りの明るさ加減など、いまでも鮮明にありありと目に浮かびます。
夫である祖父は私が生まれる前、私の父が中学生のときに亡くなりました。
祖母は、それからの日々の暮らしを立てるため、きつい農作業などを続けた結果、40代あたりから身体をこわしがちだったそうです。
私も、祖母の姿は、ベッドに寝たままの姿しか覚えていません。
ご先祖様とわたし
それにしても、父方、そして母方とも、ご先祖様は私を「使って」いろいろな総まとめをしてくださっているようです。
ときおり、祖父母やご先祖様のことを思い出すとき、なんとなしに、近くに気配を感じることが多くなっています。
守られているというか、見てくれているというか、そしてふたつの家の仕事を知らぬ間にまかされているのだろうなと感じています。
想像かも、妄想かもしれません。
ただそう感じるだけです。
父方の祖父、母方の曾祖父には、会ったことがないので、あの世で会えるかなあ、なんて考えたりすることもあります。
楽しみですが、でもいまでも見てくれている感じがするので、実際あちらにいっても、あー、ふーん、で終わるのかもしれません。
とくに母方の曾祖父は、親兄弟すべてを一年のうちに病気で亡くして、10代半ばで天涯孤独になり、遠い親戚のおじさんと、全員の位牌を背負ってお四国参りをしたのだとか。
早く会って、お礼がいいたいものです。
感謝には3種類ある
感謝というのは、
生きている人への感謝、
死んでいる人への感謝、
そしてまだ生きていないひとへの感謝。
最近、3つの感謝が明確になってきて、なにかと忙しくなりつつある今日この頃です。