文芸雑感——俳句を中心としてーー
下 (その1)
不易なき流行
流行という物が、大衆の「ノリ」を標的に作られるようになって、どのくらいたつのだろう。
これがもはや不易に裏打ちされた流行でないことだけは、たしかである。
最近の流行は、ルーズソックス、援助交際をひとつの頂点として、得体も知れずうごめいている。
これらは流行などではなく、単なる社会現象(ブーム)で終わってゆくのであろうが、あるときふとこう考えた。
東京など、都会から産み出される流行だから「カッコイイ」のである。
ルーズソックスも援助交際も、田舎の閑な村落でやられたのでは、もうこれは笑うよりしかたない。
いささか口が過ぎた。いずれにせよ、文化はふつう中央から地方へと流れる。
これが現代日本での粋であり、地方の垢抜けぬ文化は、ただただ野暮であることに甘んじなければならない。
よしと勇んで中央へ向かってみたところで、即座に跳ねとばされるか、そのまま飲みこまれてしまうのがオチである。
地方から出現した革新的な子規
そんなことをつらつら考えていたある日、柄谷行人さんの一説に出くわした。
封建制(地方分権)がまだ色濃く残っていた時期には、東京と他の都市との間に現在のような二元制がなかった。
今なら思いがけないような地域に文化的繁栄がありえたのだ。
その証拠に、近代の俳句や短歌は松山における運動からはじまったのである。
それは現代の「坊っちゃん文学賞」に示されるような惨めたらしい「村おこし」の運動ではない。
柄谷行人「解説」『村上龍自選小説集1 ー消費される青春ー』集英社(1997)
縁とは果たして不思議なもので、この一説が私の関心を子規に向け冴えるきっかけとなった。
いみじくも私の故郷・松山には子規がある、俳句がある。
そう心のなかでなにか真言のように唱えてみるとき、大仰ながら百万の見方を得た心地がした。
田舎くさい伊予松山人が公に誇示できるとするならば、子規しかない。
そして、子規の革新運動が松山という精神的文化的基盤を抜きに考えられないとは、だれしも認めるところであろう。
地方から発展した近代日本文化の好例を、他に私は知らない。
[下]その2 へつづく
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