中学生の頃、やたら禅寺で出家したいとか、雲水のように漂泊の旅をしたい、などと切望していた時期があった。今振り返ると、思春期で自分の心にまとわりつくものからの逃避であったり、根性がない自分が単に異次元の世界への憧れに過ぎなかったりといったレベルだったのであろうが、それでも、放浪の旅に出たいという気持ちは今も変わらない。
中学生から高校生までは毎週、地元の図書館で家族分のカードを使って30冊の本を借りてひたすら読むという生活を送っていたが、その中に禅宗に関わる書籍もよく混じっていた。
禅語で極めて有名な「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し…」から始まる『臨済録』の一節を知ったのも中学生の時だった。この一瞬ドキッとするフレーズが妙に心の残っていたものの、本当の真意は掴めきれないだろうと心の戸棚に収めておき、これまで折に触れて機会があるごとに引き出し、反芻してきたのであるが、現在、その理解に対してまた一つの到達点を迎えたように感じている。
スピリチュアルだったり、占いをはじめ様々な目に見えない世界のことだったり、そういう現実の社会の中ではある意味、居場所のない(はず)の物事について、私は物心付いた頃から、とにかく客観視しようとし、否定しようとしてきた。それは、自分がスピリチュアルの世界を嫌って否定したかったわけでなくて、否定し尽くしてもそこから逃れられない諦めのようなものを感じてきたからだ。
小さい頃から、第六感も含めて見えない世界について感じることが当たり前であり、少しずつ成長するにつれて「どうやら、世の中の大半はそうではない感覚のなかで皆生きているようだ」と気づいた頃にはもう自分の中では引き返せないところまで来ていた。
一緒に暮らし、血を分けた親であっても兄弟であっても、その他家族であっても、自分以外この見えない世界の感覚は現実世界で生きる大人たちにとってないも等しいもので、その齟齬に実際に気づいたのは小学校に上がって以降だったろうか。
自分があまりに前提としている超感覚のようなものを、家族ですら共有していないというのは、ある意味、人間としての避けがたい孤独を何倍にも増したものであった気もするし、だからといって、理解されることは基本的になくても、理解といった頭のレベルの話を遙かに凌駕する愛情といったもので包んでくれたことは、孤独ではあったが寂しさは感じなかったと言えるかもしれない。
そして、スピリチュアルや見えない世界を例え否定してでもこの世に生を享けた存在である以上、現実の世界でいかに生きるか、といったごく当たり前のことを最優先させること。そして、スピリチュアルなどすべて否定し尽くしてただ淡々と日々の暮らしを営むこと。それこそが、スピリチュアルと言われるものに対する私の理解と言えるだろうし、そんな世界の本質が合致していることを前提として、最もスピリチュアル的であり見えない世界を尊重している生き方と言えるのではないか。
こんなことは、言語化してしまうとごくシンプルでありふれた表現にしかならない。けれど、中学生の時、「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺す」といったフレーズに初めて接して、何かわからないけれど自分の魂の奥底と共鳴するものを感じたあの時分よりは、何段階か理解が深まっているのではないかと思うし、しかし、またそう掴めたと思った刹那、シーシュポスの神話のごとく再びまた思考としてはリセットされて再スタートさせられるやるせなさも感じていたりなど、結局私は、いつまで経っても産まれた瞬間、すべてを完全に纏っていたときのようなあの自分自身ですら神懸かった存在になることは、これからもずっとない。