コロナ禍だから訪れたかった3つの場所。

長野

今年、一年分の旅行を取り戻そうと考えたとき、前々からずっと訪れたかった場所を絞りました。

これまでなら何度も通っていて、気軽に思い付いてさっと選ぶ場所といえば出雲や京都、伊勢あたりでしたが、今回はコロナ禍のため状況次第で来年以降も行けるかどうかわからない、できるだけ遠方がいいと思っていました。

新型コロナウイルスの感染拡大によって、改めて日本社会に根強く潜んでいる差別の構造 。感染者を探しだしてネットでさらしたり、住所を特定して投石や誹謗中傷の貼り紙をするなど、感染症よりも人のこころの奥底に潜む差別的意識が露呈したことも、新型コロナで社会が揺れた理由だと考えています。

日本とはなにか。日本社会とはなにか。

司馬遼太郎が晩年、繰り返し「この国のかたち」の輪郭を描こうとしつづけたこと。

時代が移り変わろうと、人の世で暮らす私たちにとって少なからず意識せざるをえないものなのではないでしょうか。

(1)日航機墜落事故現場|群馬県上野村

1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故。 昭和60年のお盆休みに群馬県の山間部「御巣鷹の尾根」にボーイング74...

(2)あさま山荘事件現場|長野県軽井沢町

1972年(昭和47年)の浅間山荘事件は戦後の社会を揺るがし、日本の方向性を大きく変えていった事件の一つだと思います。 私が生まれる前...

(3)旧上九一色村|山梨県富士河口湖町

現場を訪れると、その土地が孕んでいる重たい空気を背負うことになります。

私は神社巡りをはじめてもう20年近くなりますが、やっと神社やお寺を巡るという苦しいメビウスの輪から抜け出せて、その外からこの世の中空にある「光」をこの手で触れたいと思うようになりました。

現実という「見える世界」と時空に遮られてしまった「見えない世界」。

このふたつが、ここで一致するという地点を探し続けたいです。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする