6月30日は夏越の祓いだったので、氏神様にお参りに行った。
いつもは境内の端に鎮座している祇園社がお宮ごと拝殿前の特設テント会場に据えられて、さまざまな供物が捧げられている。
その手前に茅の輪が設けられていた。
荒ぶる神、悪神であり、そして植林の神であるスサノオだが、祇園と名付けられるとたちまち疫病退散の神となる。
スサノオと茅の輪のつながり
祇園信仰は全国各地に広がっているが、とくに伊勢の町を歩くと軒先に「蘇民将来子孫」と書かれた脈々と古代から続く人々の思いを感じることができる。
茅の輪の由来
昔、旅をしていた神が宿を乞いに村を回っていた。
兄はそれを断ったが弟の蘇民将来は受け入れた。
のちに、村を疫病が襲ったとき、その神が現れて、自分はスサノオで、茅の輪をつければ疫病から逃れられると教えられそのとおりにするとこの一家だけ難を逃れた、という伝説による。
スサノオが大きくなったわけ
スサノオという大きなくくりのなかで、その一つの側面である祇園信仰がユダヤ教と密接な関わりがあることは以前より指摘されていることだが、出雲の特定の地域の神にしか過ぎなかったスサノオがなぜ大きな八坂の流れに組み込まれたのかは大変興味深い。
梅原猛氏の対論集を読んでいると、脚注に祇園祭についての興味深い解説があった。
“祇園祭のハイライトは、実は七月十日の「神輿洗い」という神事にある。御幸祭の前夜、神輿は鴨川(宮川)で実際に「洗」われた。今は、早朝に汲みおいた水を、夕刻、榊の枝をもって掛けるだけ。この神事を担うのは選ばれた特別の神役(今は神職もする)。「あら」うとは、神が「あ」れる、生れる、ことという。”
スサノオのひろがり
そこで思い出されるのは、播磨国、現在の兵庫県姫路市の広峯神社である。
八坂神社vs.広峯神社の祇園論争
現在、祇園や牛頭天王信仰というと京都の八坂神社がメジャーであるが、この広峯神社も古代より祇園信仰の本家とされ、中世以来、八坂神社とは本家本元論争があった。
出雲ラインの神々
不思議なことに、現在の兵庫県の東部から京都府の南部、滋賀県周辺では島根から続く出雲ラインのエネルギーが弱くなる。
祀られる神社も減り、やがて大和の三輪神社や熊野まで行くと再びオオクニヌシやスサノオの神社が増えてくる。
さらに、播磨国一ノ宮は兵庫県宍粟市の伊和神社でここも出雲系の神を祀ることを考えると、伊和地方の豪族は土着の民だったろうが、神社の分布を見れば古代出雲の実質的な勢力圏の最東端がこのあたりだったと思われる。
では、古代出雲の最西端はどこか。