秘境の少女にあこがれて。

ソクラテスからはじまって

彼は知らないのに知っていると思っているが、

私は知らないので知らないと思っている。

ソクラテス

私が知るすべては、なにも知らざることなり。

ソクラテス (プラトン「フェドラス」より)

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無知の知

最近、「無知の知」ということがよく心に浮かんでくる。

根拠はまったくないのだけれど、あらゆる癒しとかヒーリングとかもろもろ必要がなくなくなってしまう日が来るような感覚がしている。

最近話題の「みろくの世」の特徴のひとつがこれに近かったような。

ヒーラーや霊能者で力のあるひとほど、みながみなではないが、そこはかとない胡散臭さや人間性や愛において、あるはずのピースが欠落したように思える感覚。

医師がある意味、医術からもっとも遠く、教師がめぐりめぐって教育から遠いように。

地の果ての果てに住むあこがれの人

地球というものをイメージするとき、「癒し」とか「ヒーリング」とかそういう言葉すらないような山の奥とか地の果てに住む、桃源郷のような村の仙人のようなひとたちが生活してるのかもと思うとワクワクしている。

たったひとりで、日本のヒーラーを包みこんでしまうようなひとが地球の奥地にいるかもしれない。

なにもかも自分から離れていくのがいちばん自然な姿なのだろう。

テクニックもツールもオイルもカラーも、すべてが吸い取られて月の光に帰っていく。

そんな梅雨の夜だ。

2011/06/09 執筆