道後オンセナートが盛大に道後周辺で開催されている。
現代アーティストのプロデュースしたホテルや旅館の部屋。
道後温泉本館をマッピングアートするイベント。
その他にも大小様々なイベントが有機的に企画されこれまでにない集客を見せているようである。
道後オンセナートの光芒
地方の観光を〈東京〉が采配する意味
先日、道後オンセナートの公式サイトを見た。
1年間、どのようなイベントが開催されるのかをチェックすることができる。
ただ、いったいどのような企業や団体が企画運営しているのかが気になっていた。
地元に重きを置いてコミュニティーを形成する試みとしてアートディレクションと運営は地元NPOと若手クリエイターでつくるコンソーシアム「道後アートプロジェクト」が担当。総合プロデュースは、東京・青山で複合文化施設を運営する、スパイラル/株式会社ワコールアートセンターが行います。
「道後オンセナート」とは より
これだけ読んだ限りでは今ひとつピンとこない。
「道後アートプロジェクト」というものがどんな役割なのか、また、地元に重きを置くそうなのだが総合プロデュースが東京のアート事業のキュレーションを行っている企業らしい。
たしかに、地元ニュースで紹介されるイベントのいくつかを目にする時、およそ松山や愛媛の人間だけで事を起こすのにあまりに都会的なカラーを強く感じていた。
東京の専門的な事業会社がプロデュースしていると知ってなるほどと得心がいったのである。
地元のメディアではいまのところ見かけていないのだが、<歴史と伝統>のある道後というモノを東京化して演出することに地元の意見はいかがだったのだろうか。
120有余年前、伊佐庭如矢に真っ向から反対し、何度も流血事件を起こした道後町民の遺伝子は騒がなかったのだろうか。
地元に住んでいながら道後はやはりいまでも「近くて遠い町」であり、東京的で現代の観光が求める当節らしい活性化に決して難癖を付けたいわけでもなく、喘ぐように住民税を納めるものの息を潜めてその日暮らしをしている市民の一人としての戯言にすらならない。
地元愛または郷土愛というものをふと立ち止まって思う時、どれほど町が賑わいを見せて華やかなイベントが次々と夢のように開かれ、観光客が押し寄せてお金を落として行く。
それこそが、地元が発展するということであり、新たな魅力に輝くことであり、町が大きくなって東京のような大都会に近づくことなのだろう。
それ自体は良い悪いの問題でもなく、単に外部から測定された郷土の価値であり、そして地元住民の誇りと矜恃の問題と言える。
ただ、どれほど観光都市になっても企業城下町のように住民へのサービスが向上するのか、市民税が安くなるのか、そんなイメージも湧きにくい。
この自分のなかの戸惑いは、畢竟、昭和時代程度の観光の賑わいを再び求めているのであって平成の世に合致する新しい観光など本当は求めていないということなのだろう。
田舎根性の行く末
先日、地方を旅行した際、ひなびた田舎の農村部にある世界遺産を訪れた。
海と山と畑が続き、取って付けたように家があるぐらいの町なのだが、世界遺産がありその最寄りの大駐車場のそばには老人ホームが立っている。
静かな山裾でのんびり暮らしていたところ、「世界遺産」が後からやってきてしまった住民たちの複雑な気持ちを考えると、それこそ〈都会〉になって欲しいと思いながら〈田舎〉のままがよいという自分の気持ちは単なるわがままなのかと思い詰めてしまう。
松山の居酒屋で常連客が都会から来た観光客をつかまえては、
「道後温泉と松山城以外は何もないでしょう」
とお決まりのようにニヤニヤしながら絡む光景を見かけることがある。
玄関を開けたらすぐ勝手口のような松山の観光資源を皮肉に笑い飛ばすことそのものが、愛する家族を日常では厚かましいように扱うことと似ているのかもしれない。
郷土を愛するとは町の活性化を望むのでも観光客が押し寄せるような魅力あるまちづくりを目指すのでもなく、出来の悪い子供が可愛いように、町の悪口を楽しみ、閉鎖的で保守的になり、根深いところでは町の四方にメンタルな関所を設ける、といった腰まで泥に浸かったところから絞り出す負け犬の遠吠えのような心地すらしてきた。
私は生まれも育ちも松山だが、どうにも子供の頃からこの郷土という存在から余所者として身を隠すように生きている肌の感覚がいまだに拭えない。
こんな私こそ、母なる郷土・松山からすればどうしようもなく出来の悪い子供と思われているに違いないであろう。
reference: eyecatch photo on lifehacker
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