親友の墓参りに友人が行って、あれこれわかった話。

東京の親友から連絡が途絶えて、もうすぐ1年になる。

去年の6月末にプッツリとLINEの返信が来なくなった。

亡くなった事実を知って

覚悟はしていたが、その日に自宅で倒れて救急車で救急病院に搬送され、そのまま意識が戻ることなく9月に亡くなったとのことだ。

毎日のように連絡を取り合っていた相手がいなくなるというのは、寂しさでもなく悲しさでもなく、これが喪失感というのだろう。

と言っても、悲劇的な匂いもしないし、辛い感傷も起きない。

遅かれ早かれ、こうなることは随分前からわかっていたことだった。

共通の友人が墓参した話

千葉に住む共通の友人が、私の気持ちも背負って親友の実家まで墓参りに行ってくれた。

霊園は実家のすぐそばにあった。

親友の実家には二度ほどお邪魔したことがあったが、家が建て込んだ住宅地で、あんな地域に霊園があったことに驚いた。

朝の光とお父様の姿

親友は30歳過ぎに大好きだった父親を亡くしている。

最後に実家に泊まらせてもらった時、亡くなる1ヶ月ほど前のお父様にもお目にかかっている。

翌朝、出勤される前にご挨拶をすると、優しく微笑んでくれた。

小柄な方で、白いワイシャツ姿にネクタイを締めていたところだった。

お父様の後ろの大きな窓から差し込む朝の光の照度を、今でも鮮明に覚えている。

本当に大切な思い出というのは、このように取り留めない断片の継ぎ接ぎなのかもしれない。

妻というフィルターで見ると

友人が墓参に訪れた日、少し離れた場所から親友の旦那さんもやって来ていた。

後日、旦那さんの印象を友人から聞くと、親友からあれこれ話を聞いていたのと印象が違ったので、少し戸惑った。

だが、妻の立場で旦那の話を誰かに話すという時、多かれ少なかれ屈折した見方が混じるのは当然のことだ。

そう気づくと、途端に自分の中で納得のいくものがあった。

人間関係をつないでいくということ

年内に必ず会おうと千葉の友人と話しているのだが、なかなかタイミングが合わない。

気づくと、私の同世代の友人も、みな年齢的に家庭や育児、介護などで忙しい日々を過ごすようになっていた。

それでもどうにかして都合を合わせて会おうとすり合わせができる友人が、どれくらいいるだろうか。

結婚して子供が生まれて以来、ぷっつり音信が途絶えてしまった友人もまた多い。

縁は結ぶものであるが、それは縁結びの神が行うものではなくて、あくまで人と人が意識して努力しながらつなげるものなのだろう。

私の中の親友の存在を一通り知っていて今なおつながっている人は、その千葉の友人だけだ。

再会した時に果たして

昨夏からおそらく親友は亡くなったのだろうと静かに覚悟を決めて過ごしながら、11月にその事実が確かなものとなったのだが、一向に涙ひとつ出てこないまま今日までやって来た。

親友とつながっているという実感を持てた時、つまり近く友人と再会した折なら、まっすぐな心で向き合って確実に号泣できそうな気がしている。

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