介護のプロでもフォローができない親の「子ども返り」

両親が同時に入院した

両親が同時に半年ほど入院していたことがありました。それぞれ車で30分ほど離れた距離の病院で、父は膝を骨折して整形外科に、母はのどの手術後に脳梗塞を発症して急性期の後、リハビリ病院で治療を受けていたのです。

ちょうど春の終わりから秋にかけて。その年はひどい猛暑でしたが、病院の駐車場代を浮かせるため自転車で今日は父の病院へ、明日は車で母の入院先へという生活を続けていました。

入院して落ち着いてきて、ふたりとも本格的にリハビリを受けていた頃です。入院当初のような緊張感は薄れてきたものの、まだ退院の見通しは立っていない、そんな微妙な時期。

60代半ばの両親。病院でリハビリをして食べて寝て、また起きて〜という生活の繰り返しに気弱になってきたようでした。面会に行くと決まって、何の話の脈絡もなく不意に、

「オヤジが早く死んだから、おふくろにあまり甘えられなかった」
とか、
「わたしの母親は子供の頃病気してもあまり面倒みてくれなくて、お姉ちゃんが看てくれた」
とか、子どものような表情を浮かべながら訴えくるのです。

とくに父は還暦で脳出血してからちょっとしたことで涙もろくなっていました。医師や看護師、介護職員などプロのスタッフに囲まれて四六時中看護・介護のサポートを受けている一方、三度の食事や入浴、リハビリのスケジュールで忙しくても、考える時間、これまでを振り返る時間はたっぷり生まれます。自分たちが常時何かをしてもらい続けると、それまでの半生で培ってきた社会人という立場、親という立場が薄れてくるようでした。

こういうとき、血がつながっていようと親子関係というのはほとんど意味をなさなくなります。つまり、親はいま子どもの立場なっているのであって、子である私は求めていない。むしろ、本人たちの親を墓場から連れてくるか、私が親の立場になって、ただ寄り添い、メンタル的なフォローをさりげなくしていくしかないということです。

「早く帰りたい」という声にどう答えるか

やがてリハビリも進んで本人たちも身体機能が回復してきた実感を覚えてくると、面会に行くたびに「早く家に帰りたい」と言い出すようになりました。これが毎回というのが家族としてはなかなか辛いことでした。

もし退院直後のまだ不安定な状態で両親が同時に家に戻ってくると、介護サービスを組み合わせても現実的に介護が難しいこと。また、家族としては主治医の治療計画いっぱいまで医療保険で入院できる期間はリハビリを続けてから帰ってきてほしいこと、など、さまざまなデリケートな問題が絡まりあうからです。

とりわけ母親のほうは、毎回のカンファレンスで「リハビリの必要性を感じていなくて意欲が続かないこと、早く帰宅したいこともあって、退院してリハビリや介護サービスを受ける方がいいのかもしれない」という意見も聞いていました。

母は59歳で発症してからそのときで3回目の脳梗塞でした。病院のスタッフさんに母の様子を教えてもらっても「どうせまた同じように脳梗塞になるんだから、リハビリしてもしかたない」と思っている感じでした。

言い方はともかく5ヶ月いっぱいならそこまで、医療保険で可能な限りリハビリ入院をさせるという選択肢もありました。しかし、本人にやる気がないものは、家族はもちろん現場のプロでももっていきようがないだろうなというのは想像がつきます。

なるべく入院の後半は、主治医に外出許可をもらって両親をドライブに連れ出したり、ふたりが好きなケンタッキーを食べに行ったりして、なだめすかせる作戦も続けていましたが、それも根本的な解決にはならず。父はリハビリの進捗状況で退院の目安を探る、母はできるだけ早く自宅の環境を整えて退院させる、という流れを決めました。

「よくなりたい」という意欲を引き出すには

入院している本人のモチベーションだったり、将来への見通しが見えずに不安を感じたり。こうした入院中に特有のメンタル的な問題は、いくら病院という医療や介護の枠組みの中に入っても、本人と家族でないと乗り切れないテーマのように感じます。

一通りの医療制度はある。介護制度もある。そこに任せておけば安心だ、というとき、なかなか表には出てこない家族の中での葛藤やフォローというのがあるものです。

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