日帰り温泉物語(1)ある日、末期がんとわかった常連のおじいさんの話。

よく行く日帰り温泉での話。

70歳過ぎの常連のおじいさんですが、先月、咳をしたら血痰が出て、かかりつけ医を受診したそうです。

突然知った顔見知りのおじいさんの末期がん

強く咳き込んで痰に血が混じる、というのはそれほど珍しくはないですよね。

鼻やのどの血管が細い人であれば、よくある話です。

「風邪の薬を出しておきますが、念のため血液検査をしておきましょう」と。

後日、結果を聞きに病院へ行ったら、「そのまま大病院で検査してもらうように」と紹介状が出されました。

医師の説明を聞きに行くと、肺がんのステージⅣでした。

「もう治らないんですか?」

「治りません。」

「治療はできるんですか?」

「定期的に数日入院して、抗ガン剤による治療はできます。」

若い先生だったそうで、「あっさりしたものだった」と笑いながら話します。

「お年寄りはがんの進行が遅いから自覚症状のない人が多いけれど、ここまでわからなかったのは珍しい」と医者に言われたそうです。

肝の据わった人

その常連のおじいさんは、その日帰り温泉に毎日やって来ます。

そんな「余命宣告」をされたのは、私が入浴しに行った日の数日後でした。

本人はいなかったのですが、他の常連さんのひとりから事の顛末を聞きました。

「あの人はほんと肝が据わってるなァ。

もし、わしだったら、そんなことを医者から言われた翌日に、お風呂なんか入りになんか来れん。

家で布団被って過ごしてるわい」。

体重は増えるぐらいでちょうどいい

しばらくして、日帰り温泉に行ったときのこと。

コロナ禍以降、健康管理のためダイエットをしている私は、毎回体重計に乗っています。

最近、食べ過ぎと散歩が減っているせいか、1キロほど増えていました。

「ダイエット頑張ってるのに、また体重が増えてる」

と思わずひとり言をつぶやいたとき、そのおじいさんが後ろから体重計をのぞき込んできました。

「にぃちゃん、体重は減るよりちょっと増えてるぐらいのほうがええ。

わしみたいに、体重80キロで痩せないかんと思ってウォーキングを頑張って、1年したら70キロまでに減量できたんよ。

でも、運動したからじゃなくて、がんで痩せとったとはなァ」

と自嘲気味に笑顔を見せてきます。

さすがに私も、「ああ、……」としか答えられませんでした。

ウォーキング仲間に励まされて

そのおじいさんは、日帰り温泉がオープンする40分ほど前にやって来て、駐車場に車を止めてからすぐそばの海岸にある防波堤の上を毎日歩いていました。

私も、ウォーキングを始めた頃、触発されました。

たとえ短時間でも早めに到着した日は、オープン時間ギリギリまで歩いています。

「たとえ10分でもかまん、歩いておいで。

そしたら健康にええけん」

そういつも励ましてくれていました。

裸の付き合い、不思議なつながり

日帰り温泉で常連さんとちょこちょこっと話す。

回数が重なると、顔見知りになって不思議なつながりが生まれる。

最近、そのおじいさんは日帰り温泉に入りに来る頻度が減っています。

抗ガン剤治療が始まって、副作用の下痢が続いていると話していました。

医者からは「体調さえ許せば、毎日でも温泉に行って構わない」と言われているそうですが、万一入浴中の粗相をしたらいけないと、遠慮しているようです。

日帰り温泉に通っていると、ときにはこうして、一人の人間の人生の終盤をダイレクトに見せられることがあります。

裸の付き合いで独特な絆が生まれる、日帰り温泉ならではの体験をしみじみと味わうばかりです。