断捨離|災害から立ち上るリアル、のにおい。

熊本大地震の影響でまた一つ、自分の根っこが露わになって来ている感覚がある。

災害は人々の生き方に目に見えるかたち、目に見えないかたちの双方から影響を与える。

見えない世界と見える世界の、見えない溝

東日本大震災は、自分がスピリチュアルの世界からリアルの世界へとようやく戻っていく最中に起こった。

目に見えない世界のほうがあらゆることより大事であって、ふわふわとした状態の中で生きていた。

何かに気づいてしまったまま生まれた人間は、必ずスピリチュアルとリアルの溝を跳び越えようとする時期が来る。

もっとも、本来二つの世界に溝も壁もないのであって、それを生み出しているのは自分自身である。

それに気づく過程がよく「統合」という言葉で言い表されるものなのだろう。

3.11が教えてくれた自己愛

断捨離が流行っていた2011年前後、東日本大震災は大きな仕掛けの発火点を担った。

世の中の流れは個人の人生と相似を成している。

津波に飲み込まれる町をテレビで見ることで、どれだけの物を持っていても一瞬で無に化してしまうという切実な真理を突き付けられた人も多かったのではないだろうか。

クローゼットにあふれる洋服や棚いっぱいの本などを思い切って捨てる断捨離が流行った背景には、自己愛にまみれた現代人の生きづらさがあったのであろう。

強迫性の溜め込み(Hording)も同様に、OCDではなく、強迫性人格障害と診断されるケースが多いです。

その違いは、本人が症状をどのように認知しているかによっています。

本人が異常であると認知しながらも特定の行為を止めることが出来ない場合もあれば、周囲異常であると認識しながらも本人は違和感を感じない場合もあります。

reference:強迫性障害の定義

不必要と思える物まで集めてしまい、捨てられないのは、自己愛が強すぎるからだと精神医学では考えるらしい。

ただ、現代そのものが自己愛がむき出しになった時代であるので、どこまでの強さが標準値なのかというのは分かりづらい。

ただ、持っている物が灰になったり消え失せてしまう状態を自分に引き付けて考えるとき、それまでなかなか整理の付かなかった家の片付けができるようなり、捨てられないままだった思い出という名の執着を現す品々が、あっさりと色褪せて見えて、どんどんゴミになっていくのを感じたのは、物を捨てることで自分の心のこだわりがざっぱりと捨てられるようになった爽快感を与えた。

ちょうど南海トラフ地震が発生すると甚大な被害があるだろうとされている地域に住んでいる。

昔から災害が極端に少なく温暖な地域であったため、身近に災害の危機を感じることはほとんどなかった。

リアルな世界の二歩目を踏み出す

さすがに熊本大地震によって東日本大震災で感じた自分のリアルな生き方とは何かをまた一段と自問している。

断捨離で服や本はもちろん、長い間捨てるなんて考えもしなかった小学生時代からの手紙や年賀状も捨てた。

もしかすると子供の頃からのアルバムの写真も捨てられるかもしれない。

生まれてからやっとリアルな世界に戻ってきて5年が経って、ここに生まれ、ここで生きているという、わからないような、それでもひしひしと感じざるを得ない手応えを憶える、そんな時間を過ごしている。

『また断捨離を頑張りたい』

けれど、洋服ダンスやクローゼット、本棚を見てため息をついたとき、もう一歩「捨てる」を後押しして欲しいとき、読む本。