愛媛の県立高校による政治活動届け出校則化から考える依存の構造

県民として残念なニュース

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暗澹たる気持ちになった高校生の政治活動届け出化

政治活動届け出を校則化 愛媛の全県立高、県教委が例示:朝日新聞デジタル
2016年夏から実施される選挙権の18歳以上の引き下げに絡んで、愛媛県では県立高校の生徒による政治活動を届け出制とする決定をした。

県内全ての県立高校が学校単位で校則を改定するという訝しい臭いのするニュースだ。

ニュースを知って、自分自身の学生時代を思い出して数十年本質的に何も変わっていない地元の状況に鬱屈となった。

教育熱心な県民性

愛媛県はよく教育熱心と言われる。

だが、ここで言う「教育」とは高校受験を経て高校を卒業するまでの期間の意味と捉えている。

地元の雰囲気として、高校まではいわゆる進学校を目指しながら、大学や就職は地元を志向するという流れが親にも子供たちにも当たり前のように馴染んでいる。

地元では将来が見えないと上京した人間は愛媛に帰って来ない。

むしろ、東京なぞに行っても苦労するだけだとさえ思っている。

しかし、一旦愛媛を離れた人間が東京で成功すると手のひらを返したように崇め奉る。

子規も書き残しているように、四国や愛媛は日本という島国の中のさらに島であって、大海を知らないような遺伝子を引き継いでいるのかも知れない。

最近は情報が瞬時に伝わるようになって以前ほどではなくなったにせよ、日本人がアメリカやヨーロッパなど海外からの文化や有名人を手放しで受け入れて来たように、愛媛では「東京で成功した人間に極めて弱い」という傾向は続いているように思う。

本気で文化都市を目指しているのか

たとえば、2005年頃、愛媛県では県立図書館を移転新築して規模拡大の話が出ていたものの、予算の問題で既存の古く手狭な県立図書館を利用することで現在に至っている。

しかも、文教面で盛んなことをアピールするにも関わらず、公文書館の設立も見送られ、県立図書館が兼務することで決着している。

連綿と続く管理教育の伝統

高校の校則によって政治活動を届け出義務とする決定は、2016年3月に入り全国ニュースでも話題になった。

地元愛媛でもすっかり忘れられているが、愛媛県は勤務評定闘争で激しい攻防が行われた歴史もあり、また中学生の丸刈り強制は長い間続けられていた。

丸刈り強制の3年間

実際、私自身も県内の公立中学に通っていた3年間は丸刈りだった。

今回のニュースで久々に「管理教育」という4文字を思い出した。

すっかり過去の物となっていると思っていたがそれは勘違いであって、高校生の政治活動を学校側が教育上から管理するという姿勢に数十年前と何ら変わらない郷土の澱を見るようだった。

届け出制から思い出す苦い思い出

これまでも県立高校では校則によって集会や校外団体への参加、海外旅行、地域行事への参加、キャンプ・登山等では前もってホームルーム担任に届け出ることが定められていた。

キャンプや登山等といったレジャーレベルとなると、実際にどこまで生徒が届け出ていたかは疑問が残る。

ただ、私自身、この校則に現役高校生時代、直面したことがあった。

高校生の時分、まだ世の中は郵便局の定額貯金の金利が6%という華やかな時代だった。

家族が満期になると海外旅行に行けるという簡保保険に入っていて、高2の2学期、シンガポールに2人分の枠が与えられた。

10代にとって海外旅行は憧れの体験で、自分を大きく変えてくれる希望に満ちたものだった。

9月の一週間を休まなくてはいけなくなるので、早速ホームルーム担任に相談した。

しかし、

「海外旅行は休暇中であっても海外遠征や世界大会への参加といった学校や部活にまつわるものでないと認められない」

と一蹴された。

校則では届け出制であることは明記されているが、実際は責任の所在も含めて保護者が認めたとしても、あくまで学校外の問題であったとしても、そんなのはありあえないといった口調だった。

届け出義務は許可制と紙一重か

今回、届け出の事項に「選挙運動や政治活動への参加」が追記されたわけだが、ホームルーム担任レベルで話がストップしてしまう恐れは十分にあるのではないか、というのが実体験から考える私の感触である。

今から思えば、高2の私の場合、風邪でも引いたことにして海外旅行を体験していれば、まったく違った世界が広がったことは容易に想像できる。

たとえばそれが団体ツアーの観光目的であったとしても、まだ海外旅行がそれほどメジャーでなかった当時、どれほど自分にとって収穫を得ただろうと今も悔やまれるのである。

遠き学園紛争の火種

もしかすると、50代や60代といった現在の県の教育行政を担っている人たちの中に、無意識ながら生徒が政治活動をするとかつての学園紛争のように学校が暴力的な問題に巻き込まれるのではないかといった潜在的な不安が隠れているのかも知れない。

また、未成年とはいえ義務教育からは外れ、自分で責任を負うべき年齢となった高校生を保護的に管理しなければ子供たちは真っ直ぐ成長しないのではないかという怖れもあるのだろうか。

まとめ

学校外の時間まで学校や教育行政がどこまで関与するかは古くから議論されて来たところだが、こと愛媛では一旦何かがあればたとえ保護者が負うべき問題であっても学校が関わらざるを得ないという感覚が長く受け継がれているとも考えられる。

単純に自己責任論で片付けることはできない高校生の学外での行動ではあるが、教育側と生徒側がいざ問題が発生したときに誰が責任をとるのかという部分で相互依存めいた要素が残っていて、それが今回のような政治活動の届け出義務化が当然であるという愛媛県のニュースにつながっているのかもしれないと想像をしている。

→ 保守王国の政治―愛媛政治批評