本州の高速道路のうちで中央道が一番好きかもしれない。
西から関東へと向かう場合、京都から諏訪を中継点として富士山へと下っていくルートは、龍体としての日本列島をイメージするとき、いちばんしっくり来る流れと感じる。
「人生における光の柱を立てる」とも言われる諏訪のまちは、目的地というよりも中継地といった趣が強い。
もちろん諏訪大社をはじめ諏訪とその周辺も重要な場所が点在していることは確かなのだが、長旅の中でふと長い連休の中休みのような不思議な居心地の良さと次のステージへと向かう再生を促す不思議な力を持っている土地だ。
そのため、諏訪に来ると一度感覚がリセットされて旅の後半、新たな気持ちで出発できる。
そして、諏訪湖の水に触れるとそのまま中央道を下っていって富士山麓に向かいたくなってくるのだ。
前泊地の諏訪から次の目的を富士吉田としていたとき、諏訪と富士山とのつながりで何か確認できるようなものがないか探していると、何度か参拝したことがある北口本宮冨士浅間神社が現れた。
北口本宮冨士浅間神社について詳しく調べていた際、初めて訪れたときに気になった境内の摂社が諏訪神社だと知った。
毎年8月26日・27日に北口本宮冨士浅間神社を中心にこの地区で開催される「吉田の火祭り」は、正確には摂社の諏訪神社のお祭りであり、地元では元々の土地の神様だという言い伝えがある。
由緒を調べると、北口本宮冨士浅間神社と諏訪神社は別々の神社だったものを、冨士講による富士山信仰が盛んとなった江戸時代の中頃、浅間神社の社域が広がるつれて摂社として取り込まれた。
さて、現在は北口本宮冨士浅間神社から直線距離では徒歩5分くらいの位置に「御鞍石(おみくらいし)」と呼ばれる磐座がある。
広い空き地となっている社有地の真ん中にあって、残念ながら火祭りの際に神輿の渡御で使われる以外、立ち入ることはできない。
神社側からは学校の保養施設があって直接目にすることはできないため、いちど住宅地を回り込むようにして徒歩で15分ぐらいかかった。
禁足地の看板からでも30m以上は離れているところから遙拝するほかなかった。
御鞍石は、諏訪神社の旧社地との伝承がある。
たしかに、現在空き地となっている空間を眺めていると、ちょうど神社がそこにあったような印象がする。
吉田の火祭りでは2日間、地区を神輿が巡行するが、ここは、御旅所から浅間神社に渡御する際、最後に立ち寄る重要な場所である。
この磐座の上に直接神輿が載せられて「御鞍石祭(おみくらいしさい)」が行われるというシンボリックな流れを辿る。
この場所で500年以上受け継がれてきた神事を通して、北口本宮冨士浅間神社の土台を支えるものが諏訪の神であり、富士山とのつながりを強く感じる静かな聖地だった。
参照:吉田の火祭り ~神事編~|富士吉田 旅の特集|【公式】富士吉田市観光ガイド
参照:「吉田の火祭り」富士講御師によるデザインされた鎮火祭について 芸術教養学科WEB卒業研究展 京都芸術大学通信教育課程