東須佐を歩く(9)木漏れ日の先にあるもの

稲田ルートで出会ったおじいさんによると、岩屋寺跡までの地元で知られていたルートは旧佐田町の白滝地区から川沿いに谷を上がって行くものだった。

ただ、おじいさんの説明がなんとなくしか、おそらく半分程度しかわかってなかったような気がする。

この記事の情報は2011年7月現在です

安堵はいつできるのか

出雲の神社巡りをしていてときどき土地の人に道を尋ねることがあるが、年配の人の出雲弁はかなり訛りが強いのでなかなか正確に聞き取ることが難しい。

といっても、我が家にいる年寄りを例に引くまでもなく、概してじいさんばあさんの言うことはわかりにくいことが多いので、それほど自分を卑下する必要もないかもしれない。

時刻は11時を回り、真夏の炎天下、村人はもう田畑から姿を消している。

ふと白滝地区を走る県道283号線から西方を望むと、山並みがくっきりと切れた風景が目に入った。

この画像中央の峠をかつて「峯(みね)坂」と呼んでいた。

昔、このあたりにあった城が攻め落とされて武士たちが皆泣きながら坂を越えた。そこで「みななき坂」が「みね坂」になったという。

そんな歴史もなかったかのように、時折ものすごいノロノロスピードの軽トラが私の横を通り過ぎて行った。

県道はやがて細くなって

県道283号線は南の三代方面へ進むにつれて、極端に狭い簡易舗装道となった。

道幅は軽トラがギリギリ通れるほど。

ちなみに、画面の奥の山の中腹に岩屋寺跡のあった付近と推測される。

東須佐は須佐神社周辺を離れると、途端に山と山に挟まれて、谷川沿いに棚田と民家が二つ三つと点在していく。

白滝地区は、須佐からこの奥の三坂地区への県道が走っているが、こうして途中からは軽トラが一台しか通れないような隘路になる。

おそらく普通車は途中で脱輪するだろう。

郷土資料「ふるさと東須佐」の道路事情に関する記述では、交通の便が著しく悪いために改善の要望をしているがいまだ道路を拡幅するに至っていないとのことだった。

偶然出会ったおばあさんと

この道で合っているのだろうか。

不安を抱えつつ歩いていると、たまたま、もんぺに姉さんかぶりをしたおばあさんに出会った。

訛りの関係で会話の内容はニュアンスしか覚えていないのだが、おおよそを書いてみると、

「岩屋寺跡なんてずいぶんだれも登っていない。おそらく数十年。

とくに村をあげてお祭りなどもしておらず、道も途絶えているはずだ。

岩屋寺跡の下のあたりまでうちの家の持ち山だけれど、若い頃、炭焼きをしていた頃は近くまで通っていたが、私自身もその場所まではいったことがない。

ただ、何年かまえにこの辺りの土地の境界を調べ直したことがあり、そのときは調査の人が上がっていた。

岩屋寺跡に行ったことがあるひとからは、洞窟のなかにお地蔵さんが祀られている、と聞いたことがある。

谷川沿いにずっと進んでいくと小さな滝があってそこを右に回りこむように上がっていくとそのあたりだ」

という話だった。

ただ、洞窟内に地蔵菩薩の石仏が三体あるというのは、昭和40年代に発行された「佐田町史」の記載と一致する。

また「佐田町の民俗文化遺産」にも『白滝の岩屋寺谷の奥には落差十メートルほどの滝があるが(後略)』とあって、いよいよ現実味を帯びてきた。

それにしても、岩屋寺跡のすぐそばまで山をもっているおばあさんに出会うなんてほんと奇遇で、うれしかった。

ほんと小柄なおばあさんで、笑うと皺くちゃの顔がじつに愛らしい。

おそらく80代の半ばぐらいだろうか。訥々と口から出る須佐弁がとても心地よい。

今回出会った須佐の人たちは、当然私などよそ者なわけだがそれでも、何気なくあいさつし事情を説明するとみな親切に興味深く答えてくれる。

純朴な味わいが県外から来た身にはあたたかく、田舎ならではのふれあいである。

おばあさんから道もしっかり聞けた。

「あんたさんには(いま教えた道が)ちゃんとわかるかどうかわからんけんど。

まあ、進めないってわかったら、あんたさんも安堵しなするだろうかねぇ」

安堵しなする、というひとことが、とてもやさしくこころに響いた。

木漏れ日の先にあるもの

おばあさんに聞いたとおり、軽トラ一台分の道幅の県道をさらに奥へ進んでいく。すると川沿いに左へ下っていく小道が見えるのでそこを山のほうへ入っていく。

最初はちょっとした林道かなという雰囲気だったので安心して進んでいたが、やがて草の背丈が高くなってきて道はぬかるんできた。

そして分岐から約500mのところで杉の倒木が立ちはだかった。

この日は朝5時から炎天下を歩いていてすでに時刻は昼の12時。

さすがに水もスタミナも切れてしまったので、今回はここで引き返すことにした。

山登りはやはり引き際が肝心だろう。

地図上ではあと500mほどいったあたりが事前に推測した岩屋寺跡だった。

しかし、その500mが険しく草も深く川もあるようで、もし次回探索するならばしっかりかなりな目星をつけてチャレンジするのがベストだと判断した。

その後も調査は継続中

岩屋寺跡をはじめ、今回行った東須佐の旧跡については、不明点等を現在、現地のほうにあちこち問い合わせている。

先般、中途の状況を伝えていただいたが、方々の地元の詳しい方に聞いてくださっているようで、岩屋寺跡の位置を含めかなりなところまで判明しているとのことだった。

スサノオの聖地、東須佐。

出雲の根幹を形成したこの山里が、いまでは子供の頃に遊びに行った親戚のおばさんの家のように、なつかしく、親しさを覚えていることが、我ながらうれしく思った。