1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故。
昭和60年のお盆休みに群馬県の山間部「御巣鷹の尾根」にボーイング747型が墜落した航空事故です。
死者520名。
現在でも単独機の事故としては史上最悪といわれています。
日本社会の不気味さ
当時私は小2で、夏休みに連日テレビで報道される事故の様子に得体の知れない恐怖を感じていました。
最近聞いた話では、同い年の友人はそのとき、現場から50kmほどの軽井沢に家族旅行していたとのこと。
あわやという恐怖感を子供心に強く抱いたそうです。
日航機事故はこれまで何度もテレビのドキュメンタリー番組が放映されてきました。
また、山崎豊子の「沈まぬ太陽」のように小説化そして映画化・ドラマ化されています。
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子供の頃に聞いて耳から離れない「御巣鷹の尾根」という言葉。
一度訪れてみたいと現場となった群馬県上野村の慰霊の園をお参りしました。
諏訪から上野村へ
訪問当日、前泊の諏訪から白樺湖を経由して佐久に入り、そのまま荒船山を右手に見ながら下仁田に下りてひたすら南下していきます。
南牧村から上野村に入ると谷が深まってきて、昼だというのにひんやりしてきました。
10キロ先の事故現場を見つめる慰霊塔
どんどん山間部の狭い山道に入っていって、やがて村の中心部に入ると案内板が見えてきます。
残念ながら、2019年の台風19号の影響で、村の中心部から墜落現場までの村道が復旧工事中で通行止めとのこと。
そのまま慰霊の園へと向かいました。
慰霊の園
慰霊の園は村を見下ろす高台にありました。
ここには広い敷地に慰霊塔と納骨堂があります。
慰霊塔と納骨堂
慰霊塔は手を合わせたようなデザインで、その先には「御巣鷹の尾根」と呼ばれる墜落現場があります。
慰霊塔の前には犠牲になった520名の氏名が刻まれた石碑が並んでいます。
石に刻印された一つ一つの名前を見ていると、自然に胸が苦しくなりました。
時計の針はもう動かない
慰霊塔の隣には事故の概要や写真・映像、遺品を展示した展示棟がありました。
館内は撮影禁止だったので写真はありませんが、村民から見た事故に関する映像は新たな視点をもたらしてくれます。
事故が8月12日に発生して、3日ほど村の男性たちは捜索に、女性たちは食事の提供に追われたこと。
喪中に服すため、お盆に行われている村の成人式や夏祭りは中止になったこと。
報道陣が一気に押し寄せたため、村の店の棚からは商品が消え、簡易下水施設の処理能力が追いつかず川に垂れ流す場面も。
村人にとって突然訪れた大事故のインパクトはさぞ大きくて、心痛めたことでしょう。
展示内容は事故の経緯や村の対応を中心にコンパクトにわかりやすくまとめられていました。
とくに印象に残ったのは犠牲者の遺品です。
事故が発生した18時56分を指したまま針が止まった腕時計。
ねじ曲がったメガネのフレームやボールペン。
内部の基板が剥き出しになった電卓。
墜落時に犠牲者が受けた衝撃や火災の様子を静かに物語っていました。
ピンと張り詰めた空気のなかで
園内には供養のための観音像や慰霊碑などもありますが、人気のない静かな雰囲気です。
今回、道路事情のため墜落現場まではアクセスできませんでしたが、慰霊の園に訪問できたことは、コロナでさらに先行きが見えなくなってきた日本社会の本質を考える大きな材料になったと感じています。
何よりも、このような大事故が二度と起こらないように、520名の犠牲者の鎮魂を願うばかりです。
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