諏訪大社の本宮と前宮に挟まれた住宅地。
その一角に、茅野市運営の神長官守矢史料館がある。
神長官(じんちょうかん)とは、中世から明治時代まで諏訪大社の中心的存在として神社を取り仕切ってきた守矢家の官名である。
現在の当主はなんと78代目というから非常に由緒のある家柄だ。
諏訪の重要神事「御頭祭」
諏訪大社というと御柱祭が広く知られている。
天下の三大奇祭などと呼ばれ、諏訪大社に奉納する巨木を滑り落とし、町々を引いていって諏訪湖を囲む4つの本宮、前宮、春宮、秋宮の境内に立てるという大行事だ。
一方、諏訪大社では古代よりの祭祀形態を色濃く伝える「御頭祭(おんとうさい)」があった。
現在はかなり簡素化されているものの、いまでも本宮と前宮で構成される諏訪大社上社で受け継がれている。
時代によって形式はかなり変化してきたようだ。
しかし、一貫するのは生贄を奉献するという点である。
湧き上がる縄文の原始エネルギー
ずらりと壁に掛けられた鹿や猪の頭。
史料館の内部に入るといきなり動物たちの剥製が目に飛び込んでくる。
これこそ「御頭祭」を規模縮小して復元したものだ。
復元では25頭ほどでそれでも迫力があるが、江戸時代まで毎回75頭も用意されていた。
そのなかに必ず耳が裂けた鹿があるというのは諏訪の七不思議の一つとされている。
さらに、白兎(しろうさぎ)や雉(きじ)などの小動物から鯉や鰤(ぶり)、鮒(ふな)といった魚類、穀物まで、幅広い供物が捧げられていたという。
現在でも「御頭祭」では3頭の鹿の頭が神社に供えられる。
さすがに毎回鹿を用意することはなくなり、剥製にしたものを毎年使っているようだ。
毎年4月15日の祭日になると、史料館そばの前宮には約1.5mある御贄柱(おにえばしら)とともに鹿の頭を使って神事が行われている。
いまなお縄文が眠る町
ちょうど原村の阿久遺跡から国宝の土偶まで、一日掛けて諏訪周辺の著名な遺跡や土偶を回ってきて「御頭祭」の復元展示を見ていると、縄文文化の大地に轟き渡るような原始エネルギーを感じて、すべてがオーバーラップした。
都市化している諏訪湖一体の光景が、すっぽり縄文時代に戻ったような心地がして、地表を一皮むけば諏訪にはとんでもない爆発的なマグマが閉じ込められているような気がしてならなかった。
ヤマト以前、スワの源泉
ガイド職員に館内を案内してもらってから、建物裏手にある御左口(ミシャグチ)神社を訪ねた。
御左口(ミシャグチ)神とは、諏訪大社以前から信仰されていた非常に古い神とされている。
この小さな神社は諏訪地方を始め周辺地域に広がるミシャグチ信仰の大元といわれているようだ。
ミシャグチは大和朝廷の日本を支配する以前の人たちが信じていた神とされて、柳田國男によると塞(さい)の神と同一で、境界を守る神とした。
出雲にも多い才の神や全国各地の村落に祀られている道祖神と同一視する見方もある。
諏訪にとっては縄文にまでさかのぼる原始的な信仰の象徴となっているようだ。
ポイント
御左口(ミシャグチ)神社には、3つの社が建てられている。
そのうち、一番左側の祠がもっとも重要な神であろうと感じた。
隣にあるご神木と合わせて、一層丁寧にお詣りしておいた。
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