仰西渠(こうさいきょ)とは、久万高原町を流れる久万川の上流の水不足を解消するため作られた江戸時代の用水路のこと。
この場所を知ったのは、「もしマイカーを手放した場合、久万高原に遊びに来るにはどうしたらいいのだろう」と松山市内からのバスを調べていたときでした。
Googleマップで、久万高原の町の入口にあるホームセンター周辺を眺めていて見かけた『仰西渠』という見慣れない文字。
「どんな場所だろう」と気になってドライブがてら訪れてみました
江戸時代に作られて今も現役の用水路
川の取水口から続く水路の規模は、幅1.2メートル、深さ1.5メートル、長さ57メートル。
途中の約12メートルはトンネル状になっています。
今も実際にこの地域の用水として活用されています。
私財を投じて農民のため用水路を築く
江戸時代の中期、商人だった山之内 彦左衛門(後に仏門に入って名を仰西と改める)は、深い谷に囲まれた久万川から田へ水を引くことができない農民たちの苦しみを解決しようと、私財をなげうって工事を決断します。
それまで、久万川の水は掛樋(かけひ。「懸樋」とも)と呼ばれる木の芯をくりぬいた樋を何重にもつなげて水を引いていました。
しかし、掛樋は台風や大雨で流されやすく、一度壊れると修理に費やす日数や費用が重くのしかかります。
水を安心して引くことは、年貢のための米の収穫に関わる一大事でした。
そこで、仰西は久万川の固い岩盤を手掘りして、用水路を新たに付ける計画を実施します。
3年に及んだ難工事は成功し、今なお大切な用水路として、久万川周辺の田を潤し続けています。
遊歩道や公園の整備された桜の名所に
アクセス方法ですが、松山と高知を結ぶ国道33号線沿いに建つ「仰西渠之碑」と刻まれた重厚な石碑が目印です。
川沿いは公園として整備されていて、駐車場やベンチもありました。
春には桜の名所として住民に親しまれています。
訪問したのは、梅雨で蒸し暑い日でした。
石碑から階段を久万川へと下りていくと、涼しい川風が漂ってきます。
夏には川の涼気を求めた避暑にもぴったりの場所でした。