熊野本宮大社と大斎原|和歌山県田辺市本宮町

Journey

ここ数年、誕生日の前後に伊勢から熊野へ旅するのが恒例となっていた。

旅程を7月下旬で目星を付けていたが台風接近のニュースも気になって予定よりも早く出発した。

旅の始まり

2015年7月23日(木)、獅子座の始まりという星回りも関係あるのだろうか、梅雨の間ずっと重かった心身がちょっと軽くなってきたのを感じる。

珍しく早朝に目が覚め、ふと旅立ちは今日かも知れないと思った。

すでに旅の支度は済ませていたため、ネットで宿を取り直して朝9時に出発する。

車はなかなか進まない

1日目、目指すのは熊野本宮。去年(2014年)は家族の入院が相次ぎ行けなかったため2年ぶりとなる。

高速道路を東へと進んでいくがなんとも時間の流れが遅く、待ったを掛けるように距離を稼げない。何度も休憩のためPAに立ち寄って大阪府南部、岸和田SAに到着したのは16時を過ぎていた。

いざ熊野本宮へ

中辺路ルートで本宮を目指す

そのまま和歌山を田辺付近まで下って国道311号、いわゆる中辺路(なかへじ)ルートに入る。

熊野の山間を走る快走路だが独特の湿気が強く山の中でも窓が開けられなかった。

祓戸大神

熊野本宮大社付近の駐車場に到着したのが閉門10分前だった。

防犯などの理由もありここは19時で閉門する。

慌てて石段を駆け上がり祓戸大神に挨拶して奥の拝殿で手を合わせた。

大斎原(おおゆのはら)

7月下旬の19時過ぎ、熊野本宮周辺はくもりだったが空は明るかった。

そのまま旧社地である大斎原(おおゆのはら)まで歩いて行く。

青田の広がる谷のなか、日本一と言われる大鳥居がそびえて、濃い緑が控えていた。

この地を訪れるのは、これで5回目になるだろうか。

地元の『先人』との出会い

その日、7月23日はちょうど一遍上人の月例祭でもあった。

境内には上人の霊跡を伝える『一遍上人神勅名号碑』も建立されている。

(後に一遍上人となる若き)智真は布教のあり方について苦悩します。そこで熊野本宮大社に着いた時、答えを求め、証誠殿の御前で祈り続けました。

すると夢の中に、白髪の山伏の姿をした熊野権現(阿弥陀如来)が現れました。そして「一切衆生の往生は、阿弥陀仏によってすでに決定されていることなのです。

あなたは信不信を選ばず、浄不浄を嫌わず、その札を配らなければなりません。」と、お告げになりました。このお告げを受けた智真は「我生きながら成仏せり」と歓喜しました。

一遍上人と熊野本宮大社 – 熊野本宮大社 公式サイト

地元、松山道後の出身である一遍上人は熊野権現との関わりがとても深い。

一遍上人が興した時宗では、今なお熊野を聖地としている。

こうやって遠方の地でいまだに毎月お祀りされていることをとても誇りに思う。

そして一遍上人のお導きもあって今日になったのかもと嬉しくなった。

大斎原で再生の雲に出会う

大鳥居より境内は撮影禁止のため、画像はない。

大斎原は明治の大水害で社殿すべてが流されたが、現在でも信仰の対象として石祠があって大切にされている。

現在の熊野本宮大社は当然「神社」という清冽な空気感を発しているが、大斎原に来るとかつて熊野権現として蟻の熊野詣が行われた神仏混淆の時代の渦巻くようなエネルギーを感じられて安堵する。

「この夕空と出会うために、今日、この時間にやって来たのだ」と感じた。

神仏混淆のにおい

お寺に行っても祝詞を唱えたくなる場所もあれば、神社に行ってもお経が口をついて出そうな場所もある。

どちらの要素が強く残っているに過ぎないのかもしれないが、祈りは神道も仏教も妨げない。

ただその場所に光を見るかどうかに掛かっている。

今日の大斎原の日没の光景。

雲の色、かたち、きらめきが限りなく透き通っていて、このいま立っている風景を自分の心の慰めにするために今日只今、熊野へ到着したことがわかった。

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