四国遍路を巡る日帰り旅。
宇和島の三間にある2ヶ寺と近くの西予市宇和の1ヶ寺を回りました。
とくに切なさを覚える印象を与えたのが宇和にある43番札所明石寺〔めいせきじ〕(愛媛県西予市宇和)です。
神社としか思えないような雰囲気
駐車場までの上がり口、道路の左脇に鳥居があって神仏習合の濃い寺だったのかなと想像しました。
車を停めて石段をとんとんと登り山門の前に立つと、お寺と言うより神社の雰囲気が強い感じで仕方ありません。
かなしみ秘めて荒れるお宮
ふと、山門を撮影する構図を決めようと左手に進むと、山門に並列するように古めかしい石造りの鳥居が立っています。
石段など味があるなと思いつつ鳥居をくぐってみました。
明石寺全体から感じる温度の冷たさはこちらの神社から漂ってきているようです。
拝殿で手を合わせても寂しく、人気ならぬ神気のない様子。
拝殿の奥に回り込むと立派な趣のある石段のうえに末社が並んでいるのですが、戸が破れたり壁板が抜けたりしていて荒れるに任せてあるという光景でした。
とにかくこの周辺の山のエネルギーをすべてこの一角に凝縮させたような凜としたたたずまいは、そこまで圧縮されなくてもというぐらいの健気さで、なかなか離れがたい聖地です。
木陰に囲まれてしっとりとしており、苔むして黄葉もはかなく感じられるほど。京都の比叡山の麓、八瀬の里にありそうな景色です。
閉じ込めたまま忘れ去られた聖地
拝殿の南西角に末社をさらに閉じ込めるかのような異様な角度で立つ鳥居が心にじんじんと刻み込まれます。
この方角の先はちょうど明石寺の背後の山である御篠山のようです。
山頂に勧請された篠山神社は熊野修験道の聖地だったとのこと。
なぜ 神社でなくて お寺が残った
本来ならとっくに壊されて更地になっていてもおかしくない神社だと思います。
明治の神仏分離のときになぜこの神社だけ生き残った、いや生き残されたのか。地元の村人の思いなのか。
それにつけても八十八ヶ所の寺の境内にあってここまで放っておかれるのも珍しいのではないでしょうか。
正直、参拝時間の大半をこの神社で割いて、お寺自体の印象はあまり残りませんでした。
帰りに納経所で神社の社名を尋ねると、
「熊野神社というが、熊野と関係があるかどうかや祀られている神様など詳しいことはわからない。元は一緒だったようだ」
というさっぱりした答えでした。
四国八十八ヶ所のお寺を回るとよく熊野権現が祀られていますし、明石寺の本尊である千手観音は熊野本宮の本地仏のひとつ。
神社名がわかっただけでも収穫がありました。
古すぎて 忘れ去られて 新しくって・・・
参拝を終えて駐車場まで降りようとすると、ちょっと高い場所にお堂らしき建物が見えてきました。
気になって近づいてみると、最近造成されたような丘の上に真新しいお堂があって額には「海榮寺」とあります。
とってつけたようなお堂。
そばにあった由緒によると、元は近くの山里にあった十一面観音のお寺だったそうです。
住職も守る人もいなくなって荒れ放題だったのを地域の人たちが残念に思ってつい最近こちらに移転建立されたとのこと。
切なさが持続する夜
帰宅してからも興奮醒めやらず、鳩尾の締め付けられるような切なさが続いています。
宇和という土地そのもの、そしてお寺と村里との関係をいろいろ考えてしまいました。
鎮守
守る人なきや
黄葉散る
たいろう
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