以前から精神世界で話題となっている『日月神示』をきちんと読んでいたわけではないが、不思議と心の片隅に気になる存在であった。
数年前、その手の本をさらっていた頃、成田に『日月神示』を著した神職がいた神社があると聞いて、どこか魔境のような印象を持ったのを覚えている。
はじまりは成田から
千葉の友人に麻賀多神社について訪ねると「神社のことは知らないが、最寄り駅である宗吾霊堂は初詣や車のお祓いによく行く千葉県民には有名なところ」と聞いた。
宗吾霊堂
義民である佐倉惣五郎(宗吾)を初めて知り、併せてお参りすることにした。
2つの麻賀多神社
麻賀多(まかた)神社には、2014年3月と2015年10月の2度、千葉県成田市台方と船形にある二社まとめて参拝した。
麻賀多神社(台方)
このうち、一般的によく知られているのは、台方にある本社である。
1944年(昭和19年)6月10日、ここで『日月神示』が下ろされた。
境内には、本殿の背後にゆかりの天之日津久神社という小さな祠があって、そこに立つと不思議な清風が吹く。
麻賀多神社(船形)
北伊勢の至恩郷跡へ
2016年2月のある日、近鉄四日市駅から湯の山線に乗り換えて御在所岳の麓にある湯の山温泉駅で下車した。
自動書記を行った岡本天明という人物は晩年、成田から拠点を北伊勢の菰野(こもの)町に移している。
後年、ひかり教会から至恩郷へとつながる『日月神示』を広める活動を岡本三典夫人と行っていた。
西方に聳える鋭い岩肌を持った山々に感じ入りながら2キロほど山道を進み、山神神社という石碑が見えて、少し上ると小さいながら手入れの行き届いた神社がある。
そのすぐ隣に「至恩郷(しおんきょう)」の跡地が広がっていた。
外から覗いただけだが、かつての建物も門扉も古びるのに任せていた。
岡本天明が居たほどの場所にあってすっかりとその役目を終えて、かつて光を降ろして四方八方へと広げていた土地の名残だけがあった。
役目を終えた土地がこれほどすっかりと痕跡だけになっている処はとても珍しい。
ちょうど天明たちが散策したり祈りを捧げていたであろう山や川は大規模な架橋工事で切り崩されそうとしていた。
調べてみるといつも鈴鹿付近で猛烈な渋滞に見舞われる東名阪自動車道のバイパスとして新名神高速道路が建設されており、「至恩郷」のあった付近を掠めるように抜けるようだ。
エネルギーの四つ辻・四日市
四日市というあたりの場所は、見えているのに見えていないような、雲海に隠された都市のような感覚を持っている。
ちょうど天橋立から京都を通って伊勢へ、そして東から西へ、白山から熊野へ、などなど、エネルギーが四方八方から交錯する要衝のようなイメージがある。
むしろ、伊勢や熱田、富士山や白山をはじめ、霊山の取り囲んだ聖なる盆地、それが四日市のような気もしてくる。
四日市にはどのように大切な見えないスイッチが隠されているのだろうか。
この地で日々の暮らしを送って、知らないうちにこうした仕掛けの役目を果たしている人たちのことを思った。
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