今回の出雲でどうしても行ってみたかったのが、出雲市坂浦町にあるという立石(たていわ)神社。
地元では「立石(たていわ)さん」と呼ぶそうです。
ネットでたまたま見つけたものの、とても山奥にあるらしく正確な場所もわかりません。
訪問前に、島根県神社庁に問い合わせてみました。
地元で大切にされている磐座
お電話口に出てくださった職員さんも10年ほど前に行ったきりだそうです。
もともとは立石神社として神社庁の組織下にあったものがずいぶん昔に外されたとのこと。
しかし地元の方の厚い熱意で今でも大切に御祭りされているいるそうで、期待できます。
日本海の見える小さな集落へ
坂浦町は出雲市内からだと車で40分ぐらいかかりました。
日本海側の小さな漁村で、道はやがて狭くなり車道幅員は3m程度に。
目星をつけておいた場所を過ぎても見当たらないので草刈しているおじいさんに道を尋ねると、すぐ50mほど先でした。
山道の参道を下って
道から5分ほど山道を下っていきます。
どこかに似てるなと思っていたんですが、ちょうど熊本の幣立神社の池に向かう道のような雰囲気です。
細い道ですが、きちんと草刈されていてとても歩きやすい。
地元の方のお世話に頭が下がります。
しばらくしてふと斜め上を向くと、大きな岩が木立に見えてきました。
車を停めた市道から山道を下って行くと5分もかからぬうちに休耕田の前の木立に出くわして、一瞬あたりの緑と溶け込んでいたためにわかりませんでした。
その場でよく目を凝らしてみてみると、とても巨大な磐座が真っ二つに割ったかのように坐っています。
すぐに思い浮かんだのが「神の戸、神の扉のようだ」というイメージでした。
須佐神社からここに来るまで、いつもよく通っている出雲市内の国道や県道にもかかわらず、今日はやたら「神戸川(かんどがわ)」という出雲市を流れる河川の標識を何度も目にしていました。
そもそも神戸川は出雲国風土記にも記載があるほどの歴史があります。
これまでにない気になりようだったので、不思議に感じていました。
それが、この立石さんを前にして、するする絡まった糸がほどけていくのを感じます。
これは実にここ数年来、とても大切な地だがその意味がわからないでいた兵庫県の神戸市とも相通じる感じがするし、今回の神社巡りに際して神の戸が開いたのではないか、という直感さえ覚えました。
情報の乏しいパワースポット
そもそもこの立石さんはネットで検索してもほとんど情報が見つかりませんでした。
今回たどり着けるすら心配でしたが、行けるタイミングならお会いすることができるだろうぐらいの気持ちでだったのがよかったのかもしれません。
古代出雲の深層
岩戸と岩戸の間には出雲でよく見かける独特の御幣が数本立てられています。
地元の愛媛ではほとんど見たことはありません。
神社巡りをした土地のなかでは、出雲地方と淡路島でよく青竹に紙垂を挟ませた御幣が奉られています、
これを見るだけで、いつも、明治以降の国家神道で滅菌されていない、古代出雲の深い地層のエネルギーにくらくらしてしまいます。
巨石と、地元の温かさと
さて、この立石さん。
想像よりもはるかに大きいものでした。
目寸法ですが、高さはおそらく10メートルはゆうに越すレベルです。
これほど大きな磐座が地元の人たちの温かな手で幾世代にもわたってお世話されてきたことを思うと、それだけでありがたい気持ちになります。
たとえば、私が昨年から行きたいと思っていた須佐神社付近の岩屋寺跡の岩窟にしても、かつてはその必要があって修験者を始め土地の人たちが手厚くお祀りしてしていたのでしょう。
それが今ではすっかりその存在すら忘れ去られています。
もちろん、どんな磐座も、その時代によってお役目があるからこそ歴史の前面に現れ出るものでしょう。
この立石さんのように必要であれば、どうしたって石はただそこに存在するのではなくて、確固としていて、けれども静かな意思を孕みながら鎮まっていくのかもしれません。
この立石さんがあるだけでやはり出雲は出雲なのだし、禅語に云う「山は是れ山、水は是れ水」のようにあらゆる解釈を無意味なものに溶かし尽くしてしまう痛快さがあります。
出雲とひとつのお別れ
それに何よりも、須佐神社の時から予兆は感じていましたが、この立石さんに来てやはり、出雲について自分の中で大きな締めくくりを迎えて、実際に出雲に来ることも一気に減るのだと感じました。
またいつ出雲と再会できるのかわからないし、もちろん必要なときにはいつでも訪れることができる土地に変わりはありません。
しかし、出雲というこの数年間、大きな心の拠り所だった聖地とまた違う次元で会うことになるのだろうという、先取りする嬉しさが生まれてきました。
立石さんで小一時間ほどお参りさせてもらいました。
帰り道、出雲市内に戻るため車を少し走らせていると、民家もほとんどまばらな幅員の狭い道路を小学生たちが朝の集団登校で歩いています。
朝日を浴びるランドセルと黄色い帽子に黄色い通学バッグが、とても目に印象深く残りました。