筆者は生来、運動は大の苦手だが、歩くのは好きである。
出雲市最高峰
最近、神社巡りが高じて、気になる神社の奥宮や御神体山に登る機会が増えるにつれ、子供の頃、我が家のみかん山を駆け回ったり、カブスカウトやボーイスカウトでハイキングやテント野営をしたことを思いだした。
そういうトレッキングやアウトドアが好きなら、それも立派なスポーツのうちじゃないかと妙に自信が持てるようになったのである。
さて、どうしてもその町や村のことを知りたいとすると「歩く」というのがいちばんあらゆるものを体感できる。
そもそも今回の東須佐探訪は、出雲国風土記の時代よりの昔日を訪ねる旅なので、当然、昔のひとと同じように歩くのが望ましいだろう。
地図を見ながら最初に気になったのが、出雲市最高峰の山といわれる王院山だった。
いくつかのブログやサイトで実際に登山した方がルートや道の状況などを紹介してくれていたのがありがたい。
王院山は須佐神社を起点すると、県道と林道を使って北東に約8キロの場所にある。
早歩きで行けば片道2時間程度だろうと思ったのが甘い予測だった。
王院山へ出発
夜明け前の4時過ぎに須佐神社駐車場を出発。
辺りは薄暗いなか黙々と歩いて行く。
八雲風穴から朝原公民館を過ぎ、三槙までさしかかると、急に県道は一車線道路になり、離合も困難な箇所が多くなる。
突然、道の左手に古い石の鳥居があり、急な石段があった。
気になって覗いてみたが、参道は鬱蒼としていて藪に覆われているので今は祀られていない神社跡かもと思い、とりあえず先を急いだ。
ここまでで一時間がたち、だいぶ明るくなってきた。
寺領峠
長いつづら折りの坂道をだらだらと登って行くと、峠に差し掛かった。
佐田町スクールバスのバス停には「寺領峠」と書かれてある。
かつては大きなお寺の荘園があったのかもしれない。
(中世は、機内の有力な寺社が全国津々浦々に荘園を領有していた。我が家の本家、愛媛県の山奥ですらかつては京は伏見の稲荷大社の荘園であった。実際は、地元の人間に支配を任せていたのだろうが、廃藩置県まで日本の土地所有というのは割に細かく区画が入り乱れていてややこしい)
気になる山を通り過ぎて
峠を越すと、ちょうど東の峰々から日の出を拝むことができた。
なだらかな下り坂。
小さな谷あいに、味のある農家がある。
その背後に、なんかこの山気になるなぁという、形容も緑の色合いも良く、急峻だがなんとか登れそうな山。
あの山の上とか登れないかなあ。
そんなことを考えながら峠をあとに、寺領集落に向かう分岐に入った。
そこからさらに歩いて40分ほどで登山口へ向かう林道に入り、登山口駐車場に着くと6時半になっていた。
登山道は階段としてよく整備されているもののかなり傾斜がきつかった。
息を切らせて汗だくになりながら山頂が見えた。
7時になっていた。
須佐神社から歩き始めて3時間がたっていた。
山頂の磐座
山頂からの展望は360度開け、西に須佐の山々、東から南にかけては雲南市や飯南町の深い峰々が続き、北東には出雲平野から日御碕半島が望める。
この景色はなんとも極上であった。
そもそもこの山にまつわる伝説は多い。
柱状列石があるせいかもしれないが、かつて都からきた貴族がこの山上に寺を建てようとしたものの中途で亡くなりここに葬った、とか、この近辺出身の吉祥姫という皇妃がこちらに戻ったとき、帝も後から追いかけてきて、崩御されたためのお墓であるとか、さまざまである。
また、この磐座のなかに黄金の墓標があって、夜になると出雲大社の海まで輝き出すため、魚が捕れなくなり、漁師がが大勢押し掛けて、これを谷底に落としたという伝承もある。
実際登ってみて、特別この山になにかしらを感じたわけではなかったが、出雲での初登山だったのでたいへん気持ちのよい心地だった。
山頂でしばらく休憩し、道を引き返して3時間、いよいよこの日のメインとなる須佐神社の神奈備山かつ旧跡地である宮尾山に登っていく。
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