東須佐を歩く(4)岩屋寺跡はどこに

岩屋寺という名前の寺は全国的に存在する。

愛媛県にも四国八十八カ所内にお大師さんが修行をし一遍上人も参籠したと伝えられる岩屋寺があるし、岡山にも境内に鬼の岩屋を持つ岩屋寺がある。

出雲にも有名なものだけで宍道湖の近くと奥出雲町にそれぞれ岩屋寺がある。

この記事の情報は2011年現在

須佐の岩屋寺跡とは

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おそらく昭和初期に撮影された岩屋寺跡風景(「ふるさと東須佐」より)

さて、今回、私が東須佐を探訪するなかで宮尾山のあとどうしても現地まで行ってみたいと切望しているのが、東須佐地区の南の外れにあるという岩屋寺跡であった。

まず岩屋寺跡の基本事項について整理すると、塔頭十二坊とも二十四坊とも伝えられ、一時は真言密教の聖地として隆盛していたようだが、詳細は不明である。

原田地区に今も残る万行寺はこの岩屋寺の末寺であったが1446年に現在の地に建立されたということなので、それ以前まで遡ることができるだろう。

残念ながらこの岩屋寺跡というのは歴史からも地元の人たちからも忘れられた存在になっているようだった。

昭和8年の東須佐村尋常高等小学校による「郷土に就いての調査」においてすでに、「原田の奥の深山でその名の如く大岩窟があり、今日ハ殆ど訪ふ人もないので道も絶え只一面の背丈より高い荊棘に埋もれている」と記されている。

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岩屋寺古跡略地図((佐田町史」掲載)

1972年に採図された岩屋寺古跡略地図が「佐田町史」にある。

須佐神社の南南東約2キロの山中の316m三角点の辺りに鐘堂跡があり、そこからさらに500m程奥に岩屋寺跡があるという。

本尊の大日如来は洪水で流されていまは個人宅に安置されているが、岩山の裾の洞窟に地蔵尊三体が現存するらしい。

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簸川郡佐田町(現・出雲市佐田町)の基本文献「佐田町史」(1976年)

1972年に採図された岩屋寺古跡略地図が「佐田町史」にある。

須佐神社の南南東約2キロの山中の316m三角点の辺りに鐘堂跡があり、そこからさらに500m程奥に岩屋寺跡があるという。

本尊の大日如来は洪水で流されていまは個人宅に安置されているが、岩山の裾の洞窟に地蔵尊三体が現存するらしい。

いくつかの史料と国土地理院の地形図を付き合わせながら、須佐神社から稲田を通り鐘堂跡付近まで通ずる林道(仮に稲田ルート)と掛合町境に近い三坂地区から北に登る林道(仮に三坂ルート)の2ルートからアプローチしてみることにした。