古事記や日本書紀に彩られる物語はあまりに複雑で、何が正しくて、どれとどれがストーリーとして歴史的に融合したのか、つぎはぎされたものなのか、とてもでないが判別できない。
しかし、無数に散りばめられた、突飛で論理的に破綻していそうなドラマほど、それを細かく掘り起こしていくと、ぼんやりと古代の壮大なエネルギーの交流が見え隠れする。
スサノオからイソタケルへ
それは神々の家族関係からも浮かび上がる。
イザナギ、イザナミから生まれたスサノオの子もしくは五世後の子孫がオオクニヌシであることは前述した。
一方で、スサノオの子のイソタケルは、父と共に日本全国に植林を広めた神として知られ、とくに木の国・紀伊半島でよく祀られる神である。
紀伊国一ノ宮の伊太祁曽神社はまさしくこのイソタケルが主祭神である。
スサノオとイソタケルがどのように植林を伝えたかについては日本書紀にも「一文に曰く」として、補遺や異聞のかたちで記されている。
『日本書紀』一書第四
天から追放された素戔嗚尊は、新羅の曽尸茂梨(そしもり)に降り、この地吾居ること欲さずと言い息子の五十猛神(イソタケル)と共に土船で東に渡り出雲国斐伊川上の鳥上の峰へ到った後八岐大蛇を退治した。
そのとき五十猛神が天から持ち帰った木々の種を、韓(から、朝鮮)の地には植えず、大八洲(日本)に植えたので、大八州は山の地になった。
同書 一書第五
木がないと子が困るだろうと言い、体毛を抜いて木に変え、種類ごとに用途を定め、息子の五十猛命 、二人の娘に命じて全国に植えさせた。
このあたり、レバノン杉を使った船による交易で栄えたフェニキア文明や高度な製鉄技術を誇ったヒッタイトからの影響を思いやるのもロマンがある。
アジアの窓口としての九州
気になるのは、イソタケルはまず筑紫から植林を始めたと記されていることだ。
この筑紫というのは、現在の筑紫地方(福岡県周辺)も含まれる九州の古称であろう。
朝鮮半島を基点とする神々の流れは出雲を一大拠点として、九州から瀬戸内を通り、紀伊半島まで睨んでいたことになる。
また、新羅の曾尸茂梨については比定地が諸説あるが、なかでもこれを牛の頭の意味とし現在の韓国・春川付近の山と推定する吉田東伍説は、祇園の八坂神社の縁起とも絡んで興味深い。
祇園社の社伝には「斉明天皇二年(656)高麗の調度副使伊利之使主の来朝にあたって、新羅の牛頭山に坐す素戔鳴尊をまつったことに始まると伝えている。伊利之は『新撰姓氏禄』によると八坂造の祖であった」とある。