フランスに『小さなお舟がありました』|NHKラジオビジネス英語3ヶ月目

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5月に「NHKラジオビジネス英語」を始めてから2ヶ月半が過ぎた。

散歩がてら訪れた近所のスーパーにあるTSUTAYAの雑誌コーナーでNHKテキストを見かけて、ふと試しに英会話テキストを買いたくなったのがきっかけだ。

三日坊主で終わらない

ビジネス英語を選んだのは、日常会話が中心のラジオ英会話より、ビジネスシーンの内容のほうがとっつきやすかったからだ。

三日坊主の私が、学習開始からもうすぐ3ヵ月を迎えようとしている。

「NHKのラジオ講座をしっかり勉強すると、かなりの実力がつく」という話は、語学が得意な友人から以前耳にしたことがあった。

前回、ラジオ講座のテキストを片手に学習していたのは、中学1年生の頃だったろうか。

当時、どういった理由だったかは忘れたが、フランス語とイタリア語を勉強したかった。

きっとフランス語を選んだのはフランス映画をよく見ていたから、イタリア語はエレクトーンとピアノを習っていて、音楽用語でイタリア語が多く使われていたから、といった理由だった気がする。

まずは押さえておくべき英語をすっ飛ばしてラジオ講座のテキストを買い、毎晩教材とにらめっこしながらラジオに耳を澄ませていた。

だが、結局1ヵ月くらいしか続かなかった。

毎日、必ずこなしていくというのはなかなか大変なことだし、一度飛ばしてしまうと変に潔癖症のような気持ちが出てきて、そのままになってしまった。

『小さなお舟がありました』

フランス語講座には「今週の歌」というコーナーがあって、文法や会話表現を覚えるよりも歌を覚えた方がとっつきやすいだろうと、覚えてしまった曲が2つある。

タイトルは忘れてしまったが、今でも一部を口ずさむことができるほどだ。

当時、ジャン万次郎のように音のまま覚えた感じを文字に起こしてみると、

「イレテタン・プチ・ナビホ

イレテタン・プチ・ナビホ

キナベ・ジャ・ジャ・ジャメナビゲ

キナベ・ジャ・ジャ・ジャメナビゲ

オエ・オエー」

確か、『小さな船がありました』というタイトルだった気がして今調べてみた。

すると、”Il était un petit navire”というフランスの童謡だった。

 Il était un petit navire.

Il était un petit navire.

Qui n’avait ja, ja, jamais navigué.

Qui n’avait ja, ja, jamais navigué.

Ohé, ohé. ・・・・・・

<< Il était un petit navire >>

さすが子どもの頃の記憶力だ。

今では考えられないが、呆れるほど丸ごと覚えていた。

英語学習をゆるく続けるための3つの約束

今回、「NHKラジオビジネス英語」を学習するに当たって、次の3つの約束を自分にした。

  • もし1日分ラジオを聞けなくても、飛ばしてとにかく先に進む
  • 学習内容を完璧にマスターしようとしない
  • 時間がないときはテキストなしでラジオ音声だけ聞いてOKにする

語学学習に限らず、わからなければとにかく飛ばす、だとか、一通りやったら良しとするだとか、そういうアドバイスは学生の頃からよく耳にしていた。

しかし、変なところで完璧主義の性格が出てしまって、結局やること自体を投げ出してしまうことが多かった。

ただ、今は良い意味で『いい加減』な感じで、1ヵ月のうち半分ぐらいの日数は学習できているので、自分としては満足だ。

まったくやらないよりは、一歩でもやった方が前に進むわけだし、適当な感じでやっていくうちに、たった2ヵ月ちょっとにも関わらず、少しずつ英語の耳や、英語の文法の構造が見に染みこんで来ている実感がある。

最初の頃より、英語がヒアリングしやすくなったし、ちょっぴりゆっくり聞こえるようになった。

何より、時間がないときはビジネス英会話講座と一緒に聞き始めた「ニュースで学ぶ現代英語」を運転中にカーステレオで流すようになった。

わからなくても飛ばしていけるという鈍感力は、ある意味年齢と共に身についた図太さ、図々しさでもあるのだが、良い方向に利用することもできるようだ。

そして、何より、NHKラジオサイト&アプリ『らじる★らじる』やNHK語学のスマホアプリで聴き逃し配信を利用できるようになったことが、学習を続けられる大きなポイントになっている。

伝えたい相手に伝えられる力

大学で英米文学を専攻していたものの、留学もしなかったし、英会話スクールに通ったわけでもなかった。

大学だけのカリキュラムでは英会話が人並みに身につくことは難しく、結局読み書きのほうだけで4年間を終えていたのが心残りだった。

4回生のゼミはネイティブのカナダ人の教授を選んだし、卒業論文も英語で書いたものの、どこまで英会話として先生とコミュニケーションが成立していたのかはとても怪しい。

しかし、帰国子女の友人が間に入って突っ込んだ話をしたときに、言葉を超えて伝わる物が十分にあったのだから、大丈夫だ、と聞いて、ちょっぴり安心したことを覚えている。

もうずいぶんとゼミの先生ともその友人とも会っていないし、メールも数年前から途絶えてしまっているのだが、カナダでお子さん2人と幸せに暮らしているのだろう。

次に会ったときは、多少はまともな英会話力で大学時代の思い出話ができたらと思っている。

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