コロナ禍で面白いようにメッキが剥がれ落ちていく日本。
年齢と共に「政治や行政など、この程度のものだろう」と諦めつつ気にしないようにしていたものの、ここまでのレベルかと改めて嘆きたくなる。
社会に対する2種類の態度
『社会を変えるにはどうすればいいのだろう。』
この問いを投げかけると、2種類の人間が生まれることになる。
「今でも社会を変えるなんて、子供じみたことを言ってるのか」と呆れ顔で笑う人間。
「社会なんてどうしたって変わらないだろうが、どうにかできないものか」とため息をつきながら共に考えてくれる人間。
10代特有ののっぴきならない、疾風怒濤の生き方を続けてきた人間は、きっと後者に当てはまるに違いない。
ロックの抵抗権、革命権のゆくえ
したがって、立法部が社会のこの基本的な規則を犯し、国民の生命、自由、資産に対する絶対権力を、その野心や恐怖や愚かさや堕落から、みずから握ろうとしたり、あるいはだれか他人の手に委ねようとつとめる場合には、つねに立法部はこの背信行為により、国民がそれとは全く反対の目的のために彼らの手にあずけていた権力を喪失することになるのであり、この権力は国民の手に復帰するのである。
なぜなら、国民はその根源的な自由を回復する権利をもち、新しい立法部を樹立することによって、彼らが社会に身を置く目的である、自分たち自身の安全と保証のために備える権利をもっているからである。(宮川 透 訳)
学校の世界史はもちろんのこと、法哲学や政治哲学を学ぶと「またか」と言いたくなるくらい、ジョン・ロックが目の前を立ちはだかる。
このように、点と点を線で結ぶ程度の人もあれば、社会契約説によってフランス革命やアメリカの独立戦争に影響を与えたとイメージする人もあるだろう。
抵抗権や革命権は自然淘汰されたのか
私の場合、ロックと聞くと、憲法で触れた抵抗権や革命権を思い出す。
17世紀に活躍したロックやフランス革命や独立戦争の18世紀の時代と、私たちのいる現代とは社会情勢も環境も思想も大きく変化してしまった。
そのため、各国の憲法には明文化されていなくても、当然のごとく自然権に含まれるとされる抵抗権や革命権は、政治原理や社会制度の中に組み込まれているとされている。
[「自然権」とは、]
法的規定以前に人間が本性上もっている権利をいう。(中略)
自然権は政治的変革を正当化する原理として歴史的に重要な機能を果すとともに,現代の人権思想の根底ともなった。
J.ロックは「生命,身体および財産」への権利であるとし,国家はこの自然権を保障するための組織であるから,いかなる国家権力も自然権を侵害することは許されず,そのような侵害に対して人民は抵抗権をもつと主張した。
このロック的な自然権は,アメリカ独立宣言とフランス人権宣言において成文化された。
人民が圧政に耐えかねて蜂起して、絶対的な権利を有する王侯貴族を倒したような、直接的に抵抗権や革命権を行使することは、まずあり得ないのかもしれない。
生きる以上、考えることを放棄できない
政治や社会の不合理に憤って、例えささやかな抵抗でも真っ直ぐな思いで政治批判や社会批判をする、私たちの住んでいるこの環境をよりよくするために何ができるのかを考えて、行動する、といった意識は、持ち続けていたい。
コロナ禍でますます政治や行政と国民とは、異次元レベルで断絶してしまったような印象がある。
それだけ、平時は政治・行政と市民の生活の関係性は見えなかった、いや、見えていても見えないものとうち過ごしていた、のかもしれない。
ガソリン価格に憤る市民の心理は今も昔も同じか
ガソリンなどの価格上昇を抑えるため政府が石油元売り会社に出す補助金が、来週10日から上限となっている1リットル当たり5円に引き上げられることになりました。ガソリンなどの価格上昇を抑えるため、政府は先月27日、石油元売り会社に補助金を出す異例の対策を発動しました。
補助金の額は、元売り会社がガソリンスタンドに卸す際の卸売価格の値上げ分などで決められていて、1リットル当たり先週分が3.4円、今週分は3.7円となっていました。
しかし、ウクライナ情勢が緊迫化している影響などからニューヨーク市場で3日、国際的な原油の先物価格がおよそ7年4か月ぶりとなる1バレル=90ドル台まで値上がりし、原油価格の高騰が続いています。
これによって、石油元売り会社の調達コストが増加することから、補助金の額が上限の5円に引き上げられることになりました。
ガソリンのほか、灯油や軽油、重油も対象で、元売り会社は来週10日以降、5円分引き下げた価格で全国のガソリンスタンドなどに卸すことになります。
(NHKニュース|2022年2月4日 18時44分)
エラー|NHK NEWS WEB
緊急時ではなく、どこまでもこの国に非常時が続いている今、例えば、政府の施策を持ってしてもガソリン価格が下がる傾向がない光景を目の当たりにしている。
諦めてしまいそうな気持ちの持っていき様のなさを感じて仕方ない。
しかし、これはきっと、近世の日本人が命を賭して一揆や打毀(うちこわし)に踏み切らざるを得なかったり、大正年間に米騒動が巻き起こったり、などの庶民の心理と通ずるところがあるのではないか。
そして、私たちは下がる気配を見せないガソリン価格の数字を見つめながら、思わず石油元売り会社に不信の念を向けてしまいそうになる感覚に一旦ストップを掛けつつ、実際の本丸はシンプルに違うところにあるのだ、ということを胸に刻んでおきたい。