姉の次に生まれたボクはなぜ次男になれなかったのか。

大学に入る前、独学で精神医学とフェミニズムの勉強を一通りやりたい、という目標があった。

勉強といっても、図書館で専門書を読む、書店でお金を貯めて気になる本を買って読む、といったイメージだ。卒業するまでに、何となく全体像がわかっていればいい、といった気持ちだった。ただ、専攻が英米文学だったので、文学研究では精神医学もフェミニズムの視点もよく使われていて、レポートや論文を書くときに役立つだろうという思惑も感じていた。

一人歩きする「フェミニズム」という言葉

近年、SNSの影響もあって、フェミニズムという言葉だけが一人歩きしている印象が強い。私が大学時代を過ごした1990年代後半は、まだLGBTという言葉はなくて、フェミニズムやジェンダー論、女性学のほか、クイア理論といった用語をよく目にしていた。

フェミニズムの難しいところは、もともと政治や社会運動と密接に発展した部分が大きくて、今でもフェミニズムという言葉を聞いただけで色眼鏡で見たり、敬遠する態度を示す人もいる。

小学生のときに感じたジェンダー意識

私が、フェミニズムやジェンダー論という言葉をまったく知らない頃、それでもそうした視点を感じていたのは、日常の些細なことがきっかけだった。

小学生の頃、母が学校に提出する書類を書いているのを見ていたときだ。私は姉と私の2人兄弟なのだが、ちょうど家族構成を記入する欄に、「姉は長女」で「私は長男」と書いているのが不思議だった。

当時も、子どもの続柄は生まれた順かつ性別で分けて書くことは知っていた。もちろん、最初に生まれたのが男の子なら長男、次に生まれたのが女の子なら長女であるのは理解していた。ただ、改めて、自分を含めた家族構成を客観的に見てみたとき、一番目に生まれたのは女なのだから長女なのだから、2番目に男が生まれたら長男ではなく次男と書くべきだ、という思いになんとなく囚われていたのだ。

人の営みに実は直結する文学の視点

現在、フェミニズムは社会学の範疇で語られることも多いが、90年代の日本では、フェミニズム的視点から文学批評が盛んに行われていた。

実際、英米文学の学生の端くれだったこともあって、大学の先生からも日本の駒尺喜美や竹村和子、海外ではジュディス・バトラーやマーガレット・アトウッドなど当時第一線で活躍していた研究者や文学者を教えてもらった。

ありふれた日常に新たな視点を増やすツール

文学そのものは、とても革命的なもので社会を変えようとする欲求がベースになっているものだと思う。政治や社会運動、もっといえば革命のようなものとはアプローチはまた違うかもしれないが、原動力は共通しているはずだ。そのため、この安定した社会を変えて、自分たちの居心地を悪くするであろうフェミニズムだったり、フェミニストだったりに対して、最初から顔をしかめるような態度しか取れない人が存在するのも、わからなくはない。

しかし、日常生活で感じる一つひとつの違和感を見逃すことなく、キャッチして生きるということ。それこそが、フェミニズムだけではなくすべての生き方の本質のようなものに思えてならない。過激なものは、どこへシフトしようと暴力的な性質を消し去ることはできないが、私たちは日々、平凡な暮らしを営んでいて、その中に、非常に細かなすり傷を抱えていて、それは現在、とても極端で巨大な妄想だと切り取られがちな、社会が作り出したごく偏った見方のフェミニズムとは、異質なものだ。

政治制度や社会制度を直接的に変革しなければ未来を切り開けないというアプローチもある一方で、当然ながら、日々私たちが感じている常識や習慣といった自覚しづらいものを、常に客観視しながら、その違和感をすくい上げてみる、たった1人の人間から生活の中で変化を与えていく、といったやり方もまた大切に違いない。