欽ちゃん(萩本欽一)がみんなで入れる「お墓」を桜で作ろうとしている話。

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今日も欽ちゃんがコメントを読んでくれました!

昨夜の欽ちゃんのYouTubeライブ配信。

時間の都合で途中から参加しました。

» 欽ちゃん、80歳の挑戦!|欽ちゃん4つの扉|株式会社 萩本企画

今、欽ちゃんがみんなが入れるお墓を作ろうとしているプロジェクト。

「わが家の墓を墓じまいして、高野山に永代供養なんてことを考えていたけれど、欽ちゃんの桜の花の苗にしようかな」

ってコメントをしたら、欽ちゃんが拾って読んでくれました。

今回もコメントを読んでもらえたので嬉しかったですね。

最近、暗いニュースばかりで息が詰まりそうでしたが、欽ちゃんのYouTubeライブ配信の時間はほんと平和で穏やかに過ごせます。

100年先に残る「言葉」

ちょうど、欽ちゃんが100年先まで残る「言葉」であふれるお寺を作りたい、と活動している現在。

桜の花の苗を買うと、お墓として誰でも入れるという企画でお寺の整備をつづけているようです。

私のような一般人ならともかく、欽ちゃんの名前で作ったお寺やお墓なら、本当に100年先まで残ると思う。

わが家のお墓のゆくえ

わが家の墓は40年ぐらい前に建たものですが、将来的にお墓がどうなるかはまったくわかりません。

同じ墓地に本家のお墓も残っています。

お参りする人もほんと減っています。

こちらも40年ほど前に、本家の裏山にたくさんあった小さなお墓をまとめて「先祖代々の墓」として新調したもの。

昔は墓石は小さいものの、夫婦や個人単位のお墓が主流だったようで、本家で一番古い墓石は江戸時代中期のもの。

ざっと、明和年間(1764年〜1772年)なので250年ぐらい前。

田舎のしがない農家でたまたま墓石が残っていたという感じでしょうが、それでも250年という年月をどう考えればいいのでしょう。

「250年も前」と考えるのか「たった250年しか経っていない」と考えるのか。

時の権力者や歴史に名を残すような有名人のお墓でない限り、100年先まで残るかわかりません。

なにより、お墓はもちろんのこと、未来の人たちが今しがなく生きている自分の名前を覚えている可能性はほぼないでしょう。

お墓は不要と思うワケ

わが家は、お墓詣りを欠かさない家でした。

お盆、春と秋のお彼岸、年末と最低でも4回は家族みんなでお墓詣りをしていた。

今から振りかえると古風な家でした。

こどもの頃からお墓詣りが日常生活で当たり前の感覚で育ってきたことで、先祖や家族、家に対する考え方、感じ方が培われたと感じています。

だからこそ、大人になって突きつめて考えると、お墓そのものは必要ないとはっきり感じるようになりました。

お墓があるかどうかはたいしたことではなくて、ただ先祖や自分や家族のこれまで来た道、これから行く道を折に触れて思い出すのに役立つ、ひとつの「装置」である、という感覚です。

数十年もすれば、わが家のお墓も亡くなっているかもしれません。

とはいえ、そのまま朽ち果てるまま放置しておくわけにもいかない。

どこかのお寺に永代供養をお願いすれば、お墓がなくてもずっと心配はなくなります。

家ごとのお墓でなくても、合同のお墓で十分かもしれない。

高野山にある各寺院では、それほど高くない値段で先祖まとめての永代供養を引き受けてくれるところもあるようです。

1,200年つづく高野山ならこれから先もなくなることはないと思えます。

でも、欽ちゃんのお墓なら、みんなわいわい賑やかで、楽しそうだな。

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