兵庫県西宮市にある越木岩神社。
境内奥に甑岩(こしきいわ)と呼ばれる巨大な磐座(いわくら)があることで神社や巨石ファンの間で知られている。
境内隣地に残された3つの磐座がマンション建設計画によって破壊されようとしていることは過去記事でお伝えした。
▼目次
西宮は、関西有数の高級住宅地が広がっていることで全国的にも有名である。
とくに阪急電鉄甲陽線沿線の夙川から苦楽園、甲陽園に掛けては田園調布と並んで日本を代表するセレブタウンを形成している。
古代から磐座祭祀の最重要拠点であった六甲山麓において高級住宅街がますます広がっていることは土地の持つ魅力なのだろうか。
ただ今回、越木岩神社のこれまでの経緯からマンション建設予定地に残る磐座が神社の歴史と深い関わりがあったことは容易に推測される。
どういった事情があったにせよ、境内地の一部が譲渡されて50年経った今、転売という所有権の移転によって巨大なマンションが神社の間近に建てられる事実は変わらない。
神社ブームであぶり出されたマナー問題
数年前から始まったパワースポットブームによって神社や聖地を訪れる人たちは飛躍的に増加した。
もともと規模が大きく若者への訴求力の強かった神社ではいまも参拝客が絶えない。
パワーをもらうため、ご利益をいただくため。
明治神宮の清正の井戸に始まり、それがたとえ俗っぽい目的であったにせよ、寂しかった境内が賑わって知名度がアップし、人々が神社を現代的な観点から捉え直したことは喜ぶべきことである。
基本的に江戸時代に活躍した御師によって伊勢や出雲、熊野や稲荷と言った信仰が大衆へと広がって、伊勢のおかげ参りや出雲のご縁結びとなって隆盛を極めたことと本質的には等価と考えられる。
しかし、参拝客が増えるほど問題となったのがそのマナーだった。
- 神社を訪れてもパワーがもらえると噂のスポットにだけ直行して、拝殿で手を合わせることもしない。
- 境内のご神木に抱きついたり枝を手折って持って帰る。
- 磐座として祀られた巨石に登ったり、一部を削る。
こういった悪質なマナー違反によって次第に神社は自衛手段を取るようになる。
天橋立の近くにある籠神社関連の真名井神社では監視カメラを設置するなど様子を見ていたが、とうとう磐座群への立ち入りを制限する玉垣を設置した。
大杉で著名な出雲の須佐神社は当初垣根がなかったが、簡易なものを設置し、やがて立ち入ることの出来ないような堅固な板垣を作った。
そばまで近づいて手を合わせることができた京都府亀岡市の出雲大神宮の磐座も離れた場所からしか拝むことができなくなった。
ただ、上記はあくまで人々のマナーの問題であって参拝する側としては残念ではあるが立ち入りを制限するような処置で本体の磐座やご神木、境内自体が犯されたり、失われるというおそれは皆無だった。
社会全体の価値観が一変するなかで
一方、越木岩神社の磐座の場合は、古代より連綿と祭祀されてきた本体そのものが壊されようとしている。
神聖な歴史を持つ神社だから、古代からの大切な遺物だから、そんな畏敬の念によって大切に後世へと受け継ぐという日本の社会にあったはずの共通認識はここにきて失われているのかもしれないと痛感した。
もちろん、根源的な人間の営みとして森林を切り開いては耕作をし、海岸を埋め立てては工業や輸送拠点を据えて社会の繁栄を目指すといったことを否定するものではない。
誤解を恐れずに言えば、路傍の石も宝石も磐座も石であることに変わりは無く、それらを選別してある場合はこれを捨て、ある場合は大切にするというのは人間が拭うことの出来ない業であるとは重々承知しているものである。
名も知れぬ深山の一本の杉なら切り倒していいが、何とか遺産に登録されている巨木は守らなければいけないというのもすべて人たるもののエゴに過ぎないのかも知れない。
たとえば道路だって明治以降、街道を拡張したりバイパスを整備する中、以前からあった神社を別に移した例は枚挙にいとまが無いからだ。
ただ、神社や磐座が晒されている果てしなく危機的な状況は全国的に噴出しているいま、山に入る前には森の神様に手を合わせてから入山したり、古くから大切にされてきたものに手を加えるのを恐れるという、そんな風習も廃れてしまった。
国宝や世界遺産だって危ない?
このままでは法律や条令がなければ伊勢神宮や出雲大社の真横ですら超高層建築が生まれるような懸念が募ってならない。
蚊が大量に発生するから近所の鎮守の杜をすべて切り倒すといったような事例が発生していくのではないか。
それでも、何のためらいもなく神社や磐座を壊して新たなものを作ろうとするとき、神社も文化も迷信と片付けて地鎮祭もなく着工するのだろう。
とりあえず常識に従うとして、いったいどこの神社に地鎮祭を頼むのだろうか。
そして、どこの神にお鎮まりいただくよう願うのだろうか。
神社や遺跡に忍び寄る社会事情
現在、神社と開発を巡る問題はあちこちで発生している。
ここでは、下鴨神社と吉野ヶ里遺跡という日本人なら誰しも知っている場所を取り上げてみたい。
下鴨神社にマンション建設!?
京都にある下鴨神社といえば世界遺産にも登録されている古社である。
正式名称を賀茂御祖神社といい葵祭(賀茂祭)は京都三大祭りの一つとしてつとに有名だ。
境内には糺の森(ただすのもり)があり国の史跡にも指定されている原生林である。
現在、敷地の南側の一部に分譲マンションを建設予定であり、2015年11月の着工を目指しているという。
下鴨神社の場合、建設予定地自体は世界遺産のエリアからはかろうじて外れている。
現に、これまで研修道場や駐車場として使われてきた。
50年の定期借地権を設定して分譲マンションを開発する背景には下鴨神社といえども経済的事情が大きく影を落としている。
式年遷宮という伊勢神宮のイメージが世の大半であろう。
出雲大社の遷宮も知られるようになったが、それ以外にも歴史的に遷宮を続けてきた神社は少なくない。
遷宮という神社の大きな行事と位置づけられなくても、年とともに社殿や境内の立て替えや補修が必要なのは一般の家と変わりはない。
下鴨神社でも21年に一度の遷宮が行われており、寄付を呼びかけているものの思うように集まっていないのが現状のようだ。
神社としても肉を切らせて骨を断つといった心境ではなかったかと頭が下がるばかりである。
ただ、下鴨神社のマンション建設の場合、世界遺産に隣接するということで糺の森との調和が図られた和風で低めの建物になることが計画されている。
先述したように50年後には定期借地権がリセットされるので今後の選択の余地を残したものとなっているのが救いと言えよう。
メガソーラーが古代遺跡を覆う
佐賀県の吉野ヶ里遺跡は日本史の教科書にも登場する弥生時代の一大遺跡である。
広大な遺跡は公園として整備されており、弥生時代の「クニ」と呼ばれた大集落が復元されている。
子供から大人まで一歩足を踏み入れれば弥生人になったような気分で歴史ロマンを体感できるようになっている。
そんな吉野ヶ里の地で波紋を起こしているのがメガソーラー発電計画だ。
吉野ヶ里歴史公園の隣接地かつ未利用地とはいえ、遺跡を覆うように設置されている。
文化財保護という観点から地中に影響がないよう「置き式」と呼ばれるタイプのソーラーパネルを設置しているおり、基礎部分の地面打ち込みはないため、直接的な文化財へのダメージはないだろう。
しかし、広大な吉野ヶ里歴史公園と同じ程度の面積にメガソーラーが並べられた光景は異様な光景には違いない。
反対運動から訴訟まで
磐座を守る署名運動スタート
越木岩神社の磐座、下鴨神社のマンション建設、吉野ヶ里遺跡のメガソーラーと3つを概観した。
現状、越木岩の磐座は神社側が建設業者に対し磐座に配慮した建て方ができないか申し入れをしているという情報があったが、さらに発展したかたちとなって保存嘆願に向けた署名運動がスタートした。
嘆願書を確認すると関西を中心に全国の磐座や巨石を調査・保存しようと活動しているイワクラ学会と越木岩神社宮司によって行われている。
磐座そのものは学界でも市の教育委員会でも歴史的・文化的価値のあるものと見られていないこともネックとなっているようで、今後、保存が行われるかどうか、見通しはかなり難しい状態だといわざるを得ない。
市民団体の反対申し入れから
下鴨神社のマンション建設計画は京都市民の間でも議論を呼んでいるようだ。
市民団体「京都・まちづくり市民会議」によって神社側や京都市に対して反対の申し入れをしたと報道された。
また、下鴨神社周辺は京都市の特別修景地域に指定されている。糺の森にも影響が懸念されることから、2015年4月23日、樹木管理を中心に市の美観風致審議会で協議が行われた。
50年間の樹木管理やその費用負担をマンション管理組合が本当に維持できるのかといった問題や定期借地権が切れて神社に土地の返還がスムーズに行われるのかといった課題が論点となった。
下鴨神社のマンションのケースでは計画や完成図を見る限り、周辺環境との調和をさせようと努めているのを感じられる。
神社として経済的事情を少しでも改善しようと計画を進めていることもあり極端に神社としての価値や環境に影響を与えるような事態にはならないのではないかと信じたい。
訴訟にまで発展中
司法の場での争いにまで発展しているのが吉野ヶ里遺跡のケースである。
弁護団が形成され、遺跡の価値や課題について定期的に講演会を開催して啓発活動に努める一方、「吉野ケ里メガソーラー発電所の移転を求める佐賀県住民訴訟を支える会」の一員として佐賀県民に原告協力の呼びかけを続け、2015年4月現在、佐賀地方裁判所で係争中である。
原告側が問題視している点は「遺跡を損壊したこと」「赤字の可能性が高いこと」「吉野ヶ里でなくても代替地はあること」「佐賀県は行政として計画に関する問題点の検討をしていないこと」などだ。
磐座を大切にする一つかたち
このように、世界遺産にされるような日本を代表する神社や遺跡であっても神社の存続事態が危ぶまれる時代。
署名運動から訴訟といった手段まで具体的なアプローチとしては現に各地で展開されているが、もっとベースの部分、神社や磐座といった日本古来の素朴な自然崇拝を伝える価値を後世に伝えるには何が出来るのだろうか。
その一つの可能性として希望を覚えるのが島根県出雲市で活動している「出雲の石神信仰を伝承する会」だ。
出雲では磐座のことを石神(いわがみ)として大切にしてきた。
ことに出雲にあっても参拝の利便性や災害などによって神社が山麓に里宮として移されたケースも多い。
旧社地には古来から信仰されてきた磐座がそのまま残され地元の人でもアクセスできないような場所も増えているのである。
この会は、出雲市斐川町にある荒神谷博物館が中心となって2012年から石神の調査保存や市民への啓発活動を行っている。
定期的に出雲周辺の磐座を巡るバスツアーも開催しており、地域によって地元の先人が大切に守ってきたものを何とか伝えていきたいという真摯な思いが伝わってくる。
出雲の石神信仰を伝承する会が特徴的なのは市立の公共施設が旗を振って出雲市や島根県の歴史文化財関係の諸機関との連携も図りながら活動していることだ。
荒神谷博物館の藤岡大拙館長は「出雲学」の提唱者であり古代出雲研究の第一人者でもある。
こうしたバックボーンが会の活動を下支えしていると思われ、今後の発展が注視される。
無心に祭祀する、ただそれだけの思い
日本にはもともと神社はなかった。
社殿や鳥居といったいまよくある神社はなかった。
磐座や大木に神を見て素朴に信仰し続けてきたのが日本人なのである。
あえていえば、磐座を拝むというだけでシンプルに古代祭祀の世界と直結するのである。
今後、大きな神社であっても経済的に立ちゆかず神社そのものが売られていくという時代も到来するかも知れない。
そのときにその土地に敬意を払うこと、磐座や森を大切にしようとする心は断固として残さなければならないと思う。
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