岡本太郎の養女だった最晩年の岡本敏子さんと、忘れられない思い出がある。
人生に迷う時代に熱中した岡本太郎
大学生の頃、たまたま書店で出会った岡本太郎の本。
みすず書房『岡本太郎の本』シリーズの「呪術誕生」や、青春文庫「自分の中に毒を持て」などは何度読み返しただろうか。
自分というものがまだ確立せず、何者かもわからない20代前半にあって、「危険なことにこそ飛び込んでいくべき」と繰り返し訴えかける岡本太郎の言葉は、とても鮮烈だった。
青山のアトリエを利用した岡本太郎記念館や、都心から鉄道とバスを乗り継いでたどり着いた川崎市岡本太郎美術館を訪れたのもこの頃である。
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地元で開催された岡本太郎展で
岡本太郎ブームは数年おきにやってくる。
ちょうど2004年も全国で展覧会が開催されていて、愛媛・松山のミウラート・ヴィレッジでも「岡本太郎展ー永遠の挑戦ー」があった。
この展覧会の目玉は開催開始の前日、プレ・オープニングイベントのトークショーに岡本敏子さんが登壇されることだった。
当日、敏子さんはタイトなスケジュールのなか、松山にやって来ていた。
トークショー終了後、岡本敏子さんの新刊にちなんだサイン会が開催されたのだが、瞬く間に100人以上の行列ができた。
トークショー自体、スタッフの時間管理を気にせず大幅に時間を延長していたため、サイン会は当初の予定より短縮されることになった。
丁寧に時間をかける敏子さんの人柄
運良く、行列の3人目に当たった私。
丁寧なやりとりのため、1人目ですでに数分が経っていたのだが、敏子さんはまず、あのあたたかでつぶらな瞳で私の目をまっすぐ見つめると、氏名に始まって「どこからやってきたのか」を丁寧に聞き取りながら、毛筆で本の裏表紙にサインをしていく。
「太郎さんのどんなところが好きなの?」
「太郎さんは、こういうことをよく言ってたわ」
「あなたも太郎さんのようにパワフルで素敵な人生を送ってね」
など、次々とやさしい声で話しかけてくれる。
サインをしてもらっているこちらが「こんなに一人に時間を割いて大丈夫なんだろうか」と心配するほどだった。
そばにいたスタッフさんが敏子さんに「もっと早く」と何度もジェスチャーでアピールしていたが、ご本人はそんなことお構いなし。
敏子さんとの忘れられない握手
敏子さんは、サインをした本を手渡してから、最後に私の両手を握って、
「太郎さんの作品や本をたくさん触れて、愛してあげてね」
と強く握手をしてくれた。
こちらが恐縮してしまうほど、長い時間、手を握ってくれていたように感じた。
頭がふぁっと熱くなって、現実感がないまま列を離れていくと、背中からスタッフのアナウンスが聞こえてきた。
「敏子さんは飛行機の都合で、この後、サイン会が終わったらすぐ会場を出ないといけません。
サインと握手だけ、1人1分程度でお願いします」
会場の時計を見ると、私のサインだけで5分近く経っていた。
人生の最期に出会った一人として
私は、岡本敏子さんの貴重な時間を贅沢に共有できたことにとてつもなく体が浮き立つと同時に、岡本太郎を通して敏子さんが伝えたかったことの重みをずっと考えた。
こんな素敵で、会場全体を包み込むようなオーラの敏子さんを養女にした岡本太郎は、どれほどの大きな人物だったのだろう。
作品や著作からのイメージとはまた違った角度で、太郎の存在の凄まじさに圧倒されていた。
サイン会でお話しをしてから約半年後の2005年4月、あれほどエネルギッシュだった岡本敏子さんの訃報を知って、信じられなかった。
最晩年の人生のわずかな時間を岡本太郎を通して共に過ごせたことを、20年近く経った今でも折に触れて感謝している。